【全文】田上富久長崎市長あいさつ「平和主義は不変の真理」(2020年6月23日慰霊の日)


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 戦後75年の節目となる今年、令和2年沖縄全戦没者追悼式が執り行われるにあたり、被爆地長崎から、長崎市民を代表して、謹んで哀悼の言葉を申し上げます。

 沖縄県は、先の大戦において、住民を巻き込んだ苛烈な地上戦の場となり、多くの尊い命がその犠牲となりました。その惨禍を乗り越え、県民力を合わせて郷土を復興し、現在の沖縄県をつくり上げてこられたことに対し心からの敬意を表します。

 そして沖縄戦と広島、長崎への原爆投下から4分の3世紀が過ぎた今、私たちの暮らしが、戦争で失われた多くの皆さまの犠牲の上にあることに、改めて思いをはせずにはいられません。

 沖縄戦で亡くなられた犠牲者は20万人あまり。原爆投下によってその年のうちに亡くなられた広島と長崎の犠牲者21万人とほぼ同じです。

 沖縄と広島、長崎には、いくつもの共通点があります。

 戦争の最後の年に、想像もしなかった惨劇が起きて、子どもたちや女性を含め、罪のない市井の人たちが数多く命を落としたこと。目の前で繰り広げられた残酷すぎる光景は今も、残された人たちの心の傷となっていること。

 そして、その体験から、「こんなつらい思いを、ほかの誰にも、二度とさせてはならない」という平和への思いを強く持つようになったこと。

 その思いを形にするために、体験者の方々は、忘れたいという心の中のかさぶたを剥ぎ、心の中に血を流しながら、つらい記憶を引き出して、何があったのかを語り続けてきてくれました。それは、体験した世代から未来の人たちへの伝言であり、時間の流れの中で記憶を風化させてしまいがちな人間社会への警告でもあります。

 そしてもう一つ、忘れてならない共通点は、沖縄と広島、長崎の経験は戦争が生み出したものである、という事実です。この経験をもとに、私たちは二度と戦争をしないと誓い、日本国憲法の柱として平和主義を据えました。それは永遠に変わることのない不変の真理です。

 長崎と沖縄の子どもたちが、互いの地で交流しながら、戦争の悲惨さや平和の尊さを学び合う活動は20年以上続いています。これからも沖縄と被爆地は、ともに励まし合い、ともに学びながら、消えることのない戦争の記憶を伝え続けるとともに、市民社会の願いである平和の文化を、たゆみなく社会に根付かせていきましょう。

 最後に、謹んで、戦没者のみ霊の安らかならんことをお祈り致しますとともに、ご遺族の皆さま方のご健勝とご多幸を心から祈念致しまして、長崎市民を代表しての追悼の言葉とさせていただきます。

 令和2年6月23日
 長崎市長 田上富久