日本政府、繰り返す「米基地引き留め」 F4ファントム嘉手納移駐 沖縄負担削減の好機失う


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米軍嘉手納基地

 在日米軍の整理縮小による部隊撤退が浮上する都度、日本政府が抑止力低下を懸念し引き留めようとする場面はこれまでも当事者の証言や公文書で明らかにされてきた。日本本土で米軍の整理縮小に関する検討が進んだ1970年前後の時期もまさにそうだった。本土から撤退する航空部隊の一部は沖縄へ移駐し、ベトナムからの海兵隊部隊の沖縄再配備も重なって、72年の日本復帰を前に訪れた在沖米軍基地削減の好機は失われていった。

 70年前後の米軍再編の過程で、撤退を不安視する日本側の意向は幾度となく米側に伝えられる。空軍のF4ファントム戦闘機の日本本土からの撤退などが合意された70年12月21日の日米安全保障協議委員会では、中曽根康弘防衛庁長官(当時)が米側にこう懸念を伝え、釘を刺した。「将来的に極東でのさらなる米軍の削減があり得るとすれば、それは戦争に対する抑止力を低下させ、また緊急時の即応的な支援能力を低下させるものと危惧している」

 当時の本土の米軍再編と沖縄の日本復帰を経て、本土に駐留する米軍人の数は減少し、沖縄では陸軍が削減される一方、海兵隊が数を増やすことになる。

 在日米軍専用施設の沖縄に占める割合は、日本復帰の72年が58・7%だったが、本土の米軍基地整理縮小により数年後に7割を超え、現在に至っている。

 海兵隊についても、米政府内では70年代から沖縄の部隊撤退が何度か検討されてきたが、そこでも日本側の懸念は繰り返し伝えられた。95年の少女乱暴事件後に沖縄の海兵隊削減が焦点となった際も同様で、日本側が異を唱えた。当時の駐日米大使のモンデール氏も、日本側が米軍の駐留継続を求めていたと後に述懐している。