教室から火だるまになった子どもたち…「戦争が来たと思った」 61年前の米軍機事故を語り継ぐ


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 【宜野座】宜野座村立宜野座中学校は11、12日、1959年6月30日に児童ら18人が犠牲になったうるま市石川(旧石川市)の宮森小学校米軍ジェット機墜落事故を学ぶ平和学習会を実施した。事故を語り継ぐ活動を続ける石川・宮森630会の伊波洋正事務局長(67)が講話し、当時の状況などを説明した。

ジェット機墜落事故当時の状況を語る石川・宮森630会の伊波洋正事務局長=11日、宜野座中学校

 11日は3年生を対象に開催した。伊波さんは事故発生時宮森小の1年生だった。その日学校にいたが、米軍機が墜落した校舎とは別の校舎にいて難を逃れた。避難する最中、事故に巻き込まれて大やけどをした子どもが運ばれていく様子を目にしたという。「(被害に遭った子は)皮膚の色が変わっていた」と語った。

 宮森630会の活動で調査した、犠牲になった子どもたちの生い立ちや事故当時の状況なども説明した。子を亡くした母親が「自分の子は亡くし、自分は生き残ってしまって悔やんでも悔やみきれなかった」と話していたことも紹介した。

 事故では宮森小の児童12人と学校周辺の住民6人が犠牲になった。墜落時の学校の状況を「教室から火だるまになった子どもたちが出てきて、ばたばた倒れていった」と説明。当時学校にいた子どもたちや教員たちも「皆、戦争が来たと思っていた」と話した。

 伊波さんは講話を終え「何事も自分事として考え、具体的に知ることが大事だ」と呼び掛けた。

 講話を聞いた大保響輝さん(15)は「宮森小の事故について詳しく知りたいと思っていた。今日の話を聞けてよかった」と話した。