喜屋武集落のはずれで米軍に捕らわれた幸地賢造さん(84)=西原町=や家族はトラックで宜野湾村(現宜野湾市)の野嵩収容地区に運ばれます。
収容地区で母カメさんは女の子を生みました。カメさんが臨月を迎えていたことを全く知らなかったといいます。安子と名付けました。「母は強しですね」と賢造さんは語ります。
安子さんの誕生日は1945年6月21日。父の賢盛さんが亡くなった8日後です。「父の生まれ変わりだね。もう少し生きていたら戦争が終わっていたのに」と家族で語り合いました。
野嵩は戦争前の集落や民家が残っており、各地で米軍に捕らわれた住民が押し込められていました。「本当にたくさんの人がいました」と賢造さんは話します。野嵩にいる頃、現在の普天間飛行場の建設作業を見たといいます。
その後、家族は野嵩収容地区から現在の宜野座村に置かれた古知屋収容地区に移されます。古知屋では食糧不足に悩まされました。さらに南部に戻り、大里や与那原など各地の収容所を転々とします。不安定な生活が続きました。
父の死と妹の誕生から今年で75年です。家族を守ってくれた父の愛情は今も忘れません。今年も6月22日、「魂魄の塔」を訪れ、父の冥福を祈りました。
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幸地賢造さんの体験記は今回で終わります。次回は山城正常さんです。