2千円札発行20年 首里城焼失で再注目 県内流通 伸び順調 前年比6.9%増、全国低迷


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 沖縄の「守礼門」がデザインされた2千円札が2000年7月19日に発行されてから、20年の節目を迎えた。九州・沖縄サミットの開催と同時期に発行され、県内では官民挙げた「二千円札流通促進委員会」が立ち上がるなど普及促進の取り組みが進んだ。ただ、順調に発行高が伸びているのは沖縄だけで、全国の流通量は低迷を続ける。直近ではピーク時の5分の1にまで減少している。20年の歩みをまとめる。

 日本銀行那覇支店によると、県内に供給した2千円札の枚数は今年6月時点の累計で692万7千枚に上り、対前年比6.9%増となった。県内では02年以降、月別でみると、ほとんどの月で前年を上回っている。

 ■対照的

 増え続けている沖縄とは対照的に、日本全体で見るとピークは04年8月の5億1千万枚だった。この時は5千円札より流通量が多かったが、その後は激減し、14年3月には9900万枚と1億枚を下回った。今年6月には前年比1%減の9700万枚となっている。

 日銀本店によると2千円札は00年に7億7千万枚、03年に1億1千万枚が製造された後、04年以降は製造されていない。自動販売機などで使えないなど、インフラ面で使い勝手の悪さが指摘され、流通量は減っていった。

 りゅうぎん総合研究所の久高豊専務は「需要があれば対応するインフラも増えたと思う。1万円、5千円、千円の紙幣で事足りていたため、必要性や需要が喚起できなかったのではないか」との見解を示す。
 2024年前半に予定される紙幣刷新に2千円札は含まれておらず、全国的な普及は難しい状況となっている。

発行から20年となった2千円札

 ■ATM利用で促進

 守礼門を描き「平和を希求する紙幣」と位置付けられた2千円札。発行は新紙幣を求めるニーズよりも、基地をはじめとした沖縄問題を巡る中央政府の政治判断が先行した。サミットの開催とともに異例ともいえる厚遇は、選定時の首相、故小渕恵三氏の沖縄への思い入れがあったとされる。

 県内の経済・金融界は沖縄への配慮に応える形で、流通促進委をはじめとして草の根の普及活動を現在まで重ねている。地銀3行が店舗や商業施設に設置する現金自動預払機(ATM)のうち、676台で2千円札の出金、入金が可能となっている。

 元沖縄銀行頭取の安里昌利氏(現・那覇空港ビルディング社長)は「平和希求紙幣として流通を促進してきた。本土で流通しなくても、逆に『貴重な紙幣』として大事にしていきたい」と語る。

 そして昨年10月31日の首里城焼失に際し、首里城に縁のある紙幣として2千円札に再び脚光が集まった。県内に店舗を構える6金融機関でつくる県銀行協会は、2千円札の県内流通量の増加分に応じた金額を県に寄付する取り組みを実施し、普及を促している。

 流通促進委の事務局を務めた元日銀那覇支店長の水口毅氏は「コロナ禍に負けず、沖縄経済がますます発展し、かつ2千円札が多く使われることを祈る」と期待を寄せた。

(池田哲平)