[日曜の風・浜矩子氏]リモート・エコノミー 「遠いのに近い」経済に


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 リモート・エコノミー。大学の授業で、この言葉について学生さんたちに考えてもらった。この授業も、リモートで行っている。リモート・エコノミーという言葉は、この授業の設計を考えている時に筆者の頭の中に浮かんで来た。

 リモート(remote)は単純に言えば「遠い・遠隔」の意だ。だが、そのニュアンスや使い方はさまざまだ。人間同士の関係なら、「遠縁に当たる」だ。それも、かなり遠い遠縁の場合だ。「リモートな記憶」と言えば、かすかな記憶だ。辛うじて覚えているような気がする。そんな時に、リモートを使う。リモート・ホープは「わずかの希望」だ。リモート・コントロールは遠隔操作。リモコンと言えば無害そうだが、実は少し怖い。

 つまり、リモートにはあまり楽しい語感がない。どちらかといえば、否定的な意味合いの強い言葉だ。このような言葉が、今のわれわれの経済活動において、大きな存在感を持つようになっている。もしかすると、これが経済活動の主たるスタイルになって行くかもしれない。コロナの災禍に見舞われたわれわれは、そんな状況に当面している。

 もしも、リモートが経済の中軸的な有り方になるのだとすれば、われわれは、リモートにまつわる否定的な語感を何とか払拭(ふっしょく)していかなければならない。どうすれば、それを実現できるか。

 このテーマを追求する中で、リモート・エコノミーをどう日本語化するかということを学生さんたちと考えた。実に面白いアイデアがたくさん出て来た。それらにインスピレーションを得て、筆者は善きリモート・エコノミーと悪しきリモート・エコノミーについて、それぞれ日本語名を思いついた。

 悪しきリモート・エコノミーは「遠遠経済」である。遠いから遠い。遠いから疎遠になる。これではいけない。それに対して、善きリモート・エコノミーは「遠近経済」である。遠いけど近い。遠いのに近い。生身ではなかなか会えない。触れ合うことができない。でも、親密であり続けられる。物理的に遠い人々と社会的に近くなれる。そんなリモート・エコノミーを造りたい。

(浜矩子、同志社大大学院教授)