「八重山商工など野球で培ったものを、仕事に生かしていきたい。石垣島と野球には恩返ししたい」。昨シーズンで東京の会社の野球部を引退した。野球人生は完全燃焼したが、何らかの形で野球には携わっていきたいと思う。
2006年に八重山商工が出場した甲子園での熱戦に刺激を受け、地元の関西から1600キロ近く離れた石垣島へ野球“留学”した。きっかけは、父が録画していた八重山商工のセンバツ出場を追った番組で、「こんなチームがあるんだ」と心を動かされた。同校は夏も出場。中学3年で夏期講習に通う合間に近所の甲子園へ試合を見に行った。
2回戦、長野・松代戦。雨で一時中断の後、金城長靖選手がバックスクリーンに本塁打を放つ。それを見て「ここへ行こう」と決めた。
どうしたら入れるか。自身で学校に電話していた。問い合わせると身元引受人が必要だという。だが、身寄りもない石垣島。探しあぐねていたところ、同じく野球をしていた弟弦さんの同級生に沖縄出身者の子どもがいた。その遠い親戚の玉城光さんが身元引受人になってくれた。
伊志嶺吉盛監督の下、大みそかと元日、台風、移動日以外、毎朝5時半から夜9時すぎまで練習漬け。甲子園は届かなかったが、最後の夏は4番でショートを守った。九州産業大でも野球を続け、四国独立リーグの香川オリーブガイナーズで4年間活躍した。
野球人生について「やっぱり野球が好きだったんだな、と。あのとき石垣に行かなかったら絶対後悔していた。島に行って本当に良かった」と振り返る。
野球だけではない。沖縄の文化や歴史も学び、戦争に対する沖縄の人の思いにも触れた。「視野が広がった。行かないと知らなかった」。今も沖縄への思いは胸にある。
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かとう・じろう 1992年3月、神戸市生まれ。東京都内在住。四つ年下の弟弦さんは兄次郎さんを追って同じ八重山商工に進学、JR東日本東北野球部で投手として活躍中。現在はJPアセット証券で主任として勤める。