食糧不足に苦しむ日々 山城正常さん 捕らわれた日(35)<読者と刻む沖縄戦>


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大宜味村喜如嘉の山道

 大宜味村喜如嘉の山奥にある炭焼き窯に隠れていた山城正常さん(86)=南風原町=の家族、散髪屋の照屋さん、玄米屋のおばあちゃんの10人余は食糧不足に苦しみます。時々、山を下り食糧を探しました。

 「はぐれないよう、電車ごっこのように前の人の帯をつかんで、父を先頭に山を下りました。一度、玄米屋のおばあちゃんが谷間に落っこちたこともありました。イモを砕いて水炊きして食べました。食事という感じはしませんでした。ソテツも食べて、命をつなぎました」

 栄養失調で一番下の弟のおなかが膨れていました。「弟はいつも泣いてばかりいました」と山城さんは語ります。シラミや疥癬(かいせん)にも悩まされました。

 そのころ、父の正矩さんが山中で掃討戦をしていた米軍に捕らわれ、田んぼの中のおりに入れられます。残された家族はその間、食糧を求め、東村の有銘に移動します。

 その後、正矩さんは「山の中に家族がいる」と訴え、解放されます。その後、家族の元へ向かう途中、那覇から来た避難民と山中で出会います。

 「垣花から来た家族で4、5歳の子を山に置き去りにしたまま有銘に行こうとしていました。困っていたのでしょう。見かねた父は子どもを連れて有銘まで同行しました。自分の家族のことを思ったのでしょう」

 正矩さんは有銘で正常さんら家族と合流しました。