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3代目はネットで魅力発信 「県民の専門店」再び<まちぐゎーひと巡り 那覇の市場界隈9>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 まちぐゎーの歴史は、沖縄の戦後復興のあゆみと重なっている。

 終戦直後の那覇は、米軍により民間人の立ち入りが制限された。いち早く入域を許されたのは陶工たちで、生活物資を製造するために壺屋に先遣隊が送られ、これを皮切りに市場が形成されてゆく。旧・公設市場の斜め向かいに店を構える「津覇商店」も、生活必需品を扱う店として70年以上にわたり商いを続けてきた。

旧・牧志公設市場の斜め向かいに店を構える津覇商店=那覇市松尾

 「うちは戦後間もない頃に、リヤカー商売から始まったみたいです」。そう語るのは、3代目の津覇綾子さん(49)だ。創業したのは祖父の実信さんで、当初は金物屋だったという。

 「最初に売っていたのは、バケツとかタライとか、ほんとに日用品だったそうです。手先が器用で、アイディアマンでもあったから、薬莢(やっきょう)を集めて富士山をかたどった灰皿を作ったりしてたみたいですね」

家族総出の年末

津覇商店の3代目として店を切り盛りする津覇綾子さん=那覇市松尾

 1970年生まれの綾子さんが物心つく頃には、父・実敏さんと母・縞子さんが店を継ぎ、「津覇商店」は食器を扱う店になっていた。同じ通りに食器屋さんが4軒あり、有田焼や美濃焼、瀬戸焼を産地から共同で仕入れていた。つまり、店頭に同じ商品が並ぶことになるが、それぞれに御得意様がいて繁盛した。年末になると、新年に向けて食器や鍋を買い替える客でごった返し、家族総出で働くほどだった。復帰が近づくと、ホテルの建設が相次ぎ、毎日のように食器の納品に出かけたという。

 県外出身の私は、沖縄のうつわと聞けば、やちむんを思い浮かべる。でも、「津覇商店」が扱うのは県外から仕入れた和食器だけだ。

 「当時父が言っていたのは『やちむんは繊細なので、取り扱いが難しい』と。業務向けには磁器のほうが扱いやすかったんだと思います。普通のおうちでも、もちろんやちむんが好きで使ってらした方もいますけど、機能面とコスト面で大量生産の美濃焼や瀬戸焼を使う家庭は多かったと思いますよ」

上京と帰沖

食器や雑貨などを扱う津覇商店の店頭=那覇市松尾

 「津覇商店」は1階が店舗となっており、2階は住居だ。綾子さんは幼いころ、店のシャッターを上げてから登校した。時間に追われるように働く両親の姿を見て育ったこともあり、店を継ぐつもりはなく、大学進学を機に東京で暮らしていた。だが、2008年に父が倒れると、「母ひとりでは切り盛りできないだろう」と、すぐに沖縄に帰ることに決めた。そうして店を引き継ぐ頃には、まちぐゎーの様子は昔と変わっていた。

 「公設市場は昔、“県民の台所”と呼ばれていて、ほんとに生活の場だったんです。私たちが高校生の頃だと、土曜日に学校が終わると、皆で国際通りや平和通りに出かけてました。でも、最近は観光客が増えて、お店も観光客向けのところが増えましたよね。うちの店も、大型量販店が増えてからは食器が売れなくなったので、和雑貨も扱うようになったんです」

マチグヮーストア

 まちぐゎーの変化は、コロナ禍で浮き彫りになった。5月後半に活動自粛要請が取り下げられ、県内各地に賑(にぎ)わいが戻り始めても、まちぐゎーは閑散としたままだった。どうにか地元のお客さんに再び足を運んでもらえないか――アイデアを練るため、綾子さんは金城忍さん(47)、畑井モト子さん(40)、パラソル通りで雑貨店「tope」を営む与儀静香さん(44)に声をかけた。

 「私は犬猫の殺処分ゼロを目指す活動をしていて、『つなぐフェス』というイベントを開催するときには、まちぐゎーの人たちにイベントを手伝ってもらってきたんです」。畑井さんはそう語る。綾子さんや金城さん、与儀さんは、『つなぐフェス』の手伝いをしていた縁もあり、何かやろうと考えたときに一緒に動ける仲だった。

「マチグヮーストア」で注文された商品を箱詰めする津覇綾子さん(右)ら=那覇市松尾

 「バーチャルでまちぐゎーを歩きながら、そこで実際に買い物ができたら面白いかもね」。4人は4月25日からフェイスブックを通じてやりとりを始め、界隈(かいわい)のお店に声をかけてまわった。構想を練るのは時間がかかったけれど、具体的な作業は1週間で終わり、6月20日に「マチグヮーストア」がオープンした。インターネットを介して、まちぐゎーで販売されている商品を通販できるサイトだ。オープン初日、すぐに県内外から注文が舞い込んだ。4人で手分けをしながら、「津覇商店」で梱包(こんぽう)し、発送作業をおこなう。「どうやって梱包するのか、まったく効率化がされてないから、注文が入るたびにてんやわんやです」と畑井さんは語る。現状はボランティアとして運営しており、4人に儲(もう)けはない。1日に100件の注文をこなせなければ利益を発生させられないが、「今の体制だと、とても100件は発送できない」と笑う。

ジンベイザメが描かれた皿など食器や雑貨などが並ぶ店内=那覇市松尾

 今日現在では、16軒が「マチグヮーストア」に登録しているが、「興味を持ってくれた近隣のお店があれば、ぜひ声をかけてほしい」と4人は口を揃(そろ)える。最終的な目標はまちぐゎーの活性化だ。

 「この界隈はもともと専門店が集う街で、靴は靴屋、傘は傘屋で買える場所だったんです。サイトを通じて『こんな専門店があるんだ』と知ってもらえれば、実際にまちぐゎーに足を運んでくれるお客さんが増えたり、『自分もここで何かの専門店を始めたい』と思う人が出てくるんじゃないかと期待しています」

 まちぐゎーの復興を目指し、「津覇商店」では今日も慌ただしく発送作業がおこなわれている。

(橋本倫史、ライター)

 はしもと・ともふみ 1982年広島県東広島市生まれ。2007年に「en-taxi」(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動を始める。同年にリトルマガジン「HB」を創刊。19年1月に「ドライブイン探訪」(筑摩書房)、同年5月に「市場界隈」(本の雑誌社)を出版した。


 那覇市の旧牧志公設市場界隈は、昔ながらの「まちぐゎー」の面影をとどめながら、市場の建て替えで生まれ変わりつつある。何よりも魅力は店主の人柄。ライターの橋本倫史さんが、沖縄の戦後史と重ねながら、新旧の店を訪ね歩く。

(2020年7月24日琉球新報掲載)