1984年から88年までというわずかな活動で、のちの沖縄ポップの先駆けとして伝説となったバンド「六人組」が、36年の時をへて初のアルバムをリリースする。ぼくは当時このバンドの大ファンで、スクランブル、沖縄ジァンジァン、ウエストエンドといった那覇のライブハウスで追っかけをしていた。
突然現れた、沖縄音楽の新しい予感。それが六人組だった。沖縄はポップでおもしろい、新しい可能性に満ちているはずだ。そのことをぼくが初めて体感したのが六人組だった。那覇のスタジオ「クリエイト・イン」で制作された六人組のデモテープを聴きながら、これが沖縄の新しい未来なんだと、見果てぬ夢を波打つ心で感じていた。
六人組は85年、全国のアマチュアバンドを対象としたコンテスト、NHKヤング・ミュージック・フェスティバルにオリジナル曲「水辺の踊り」を引っ提げて出場した。結果、ピーター・バラカン、渋谷陽一、矢野顕子といった審査員らの満場一致でグランプリを受賞。その後、当時ミック・ジャガーのソロなどを手がけていたビル・ラズウェルのプロデュースのもとアルバム・デビューが内定していた。
全曲を作詞作曲しバンドを率いるドラムス・國場幸順は、バンドのコンセプトをこう宣言していた。「沖縄、東南アジア、中国のメロディーとリズムをポップスというジャンルの中でロック、フュージョンなどの音楽と溶け合わせたリズミック&ダンサブルな曲が主で、オリエンタルなメロディーを聞かせます」
こうした多/無国籍的なポップ感覚で沖縄音楽を語ることは、現在ではある意味なじみの視点ではあるが、当時このコンセプトは極めて先駆的だった。幻想的でポップなメロディーと歌詞、スペーシーなギターとキーボード、ファンキーなベース、そしてボーカル・ミユキの無垢(むく)でスピリチュアルな歌声。
しかしアルバムはさまざまなアクシデントの末実現せず、バンドも解散してしまった。それが今回、デモテープが久保田麻琴マスタリングのもと、よみがえった。さらに未発表だったライブ音源も収録された。
実は音源となった2本のカセットテープは、ぼくがいちファンとしてずっと大切に持っていたものなのだ。ぼくはあのとき感じた予感をずっと忘れられずにいた。しかしこのアルバムは、あの頃を懐かしむのではなく、新しい音楽として聴いてもらえたらと願う。
(ボーダーインク編集者)