宮森小米軍ジェット機墜落事故 写真家・豊里さんが思い伝える写真集を企画


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 【うるま】写真家の豊里友行さん(44)=沖縄市=が、61年前に旧石川市(現在のうるま市石川)で起きた宮森小米軍ジェット機墜落事故の体験者を取材し、写真集にまとめようとしている。7月17日には伊波宏俊さん(80)から当時の状況を聞いた。写真集が出来上がる時期は未定だが「証言を聞いた者の責任として、しっかりとした良い写真集を出版したい」と決意している。

宮森小米軍ジェット機墜落事故が起きた際、現場に駆け付けた伊波宏俊さん(右)を取材する写真家の豊里友行さん(左端)ら=7月17日、うるま市石川

 豊里さんは「基地問題と沖縄戦の取材がライフワーク」と語る。近年繰り返し発生する米軍機事故は、宮森小米軍ジェット機事故に通じるものがあると感じている。「宮森のような事故がいつ起きてもおかしくない」。初めて宮森の体験者に話を聞いたのは11年前で、これまで6人取材した。

 伊波さんからは、事故後すぐさま現場に駆け付け、消火活動に奔走した様子を聞いた。伊波さんは真っ黒に焦げた遺体を目にしたという。豊里さんは耳を傾けながらペンを走らせ、カメラのシャッターを切った。

 記憶を語り継ごうと、体験者の証言を集めている石川・宮森630会(久高政治会長)に同行する形で取材している。昨年、事故から60年の慰霊祭で久高会長は「これまで宮森の事故は沖縄の戦後史の中で、たった1行でしか語られてこなかった」とあいさつの中で話した。豊里さんはこの言葉が忘れられない。

 表面的な情報でしか知らなかった宮森の事故だが、取材を続ける中で自分に引き付けて捉える大切さを痛感した。犠牲者18人、重軽傷者210人が出た事故は単なる文字と数字の記録ではなく、色や形、人の感情などが存在しているはずだ―。「体験者が何を見て何を感じ、どう過ごしてきたのかを知りたい」

 あと数人取材すれば、経過報告としていったん簡易な写真集を出そうと考えている。「写真集を手に取った人には、自分を通して体験者の思いを共有してもらいたい。過去に起きた出来事としてではなく、自分事として考えるきっかけになればうれしい」と語った。

(砂川博範)