芸能・文化

再考・メディアの公共性 独立性揺らぐNHK かんぽ報道への外圧隠蔽<メディア時評>

 最近も、当欄で扱ってきたコロナ感染症の報道や賭け麻雀をはじめ、テラスハウスのやらせ疑惑や世論調査不正など、多くの課題がメディアに突きつけられている。これらに通底するのは、メディアの社会的な存在意義あるいは信頼感の揺らぎや喪失だ。そしてあまり一般には知られていないが、自他ともに認める公共的なメディアといえるNHKが、いまその中核的概念である公共性を、自ら放棄するかの姿勢を見せている。ここでは、その構図と問題点を改めて確認しておきたい。

 それぞれの公共性

 メディアの公共性を考えるうえで、最も広義なものとして、言論報道活動たる〈ジャーナリズム〉にとっての公共性がある。いわゆるニュース報道だけではなく、娯楽も含め様々なジャンルの情報発信が、各種メディアを通して行われている。もちろん、その中にはインターネットを経由したもの、そこでは個人発信のものも少なくない。


 そうしたなかで、公共的な活動とみなされるのは、みんなのため(公益性)に、みんなの知りたい大切な事(社会的関心)に対し、知る権利を行使するものである。さらにもう少し別の意味づけを行うならば、自由で、独立していて、多様な価値を、地域性豊かに伝えることが、ジャーナリズムの公共性には期待されている。


 次の少し狭いカテゴリーは〈マスメディア〉の公共性だ。日本で言えば、一般日刊新聞、地上波放送、さらには総体としての出版活動が該当する。海外と少し事情が異なり、さまざまな法あるいは社会的制度に守られ、全国津々浦々に普及した特別なメディアであるわけだ。その特別な地位の裏返しとして、だれでも・どこでも・簡単に情報摂取が可能な、アクセス平等性が担保されている。新聞がどこでも同じ値段で買えるし、受像機があればだれでもテレビやラジオを聴くことができるし、町々には本屋があり、多様な本や雑誌を手に取ることができる環境があるということだ。


 そして三つめのカテゴリーは〈放送〉の公共性だ。放送は、少なくとも日本の(実際は多くの国において)、表現活動を出版・通信・放送と区分されるメディア法制のなかで唯一、コンテンツ(内容)の規律が求められているメディアである。それを定めるのが放送法だ。そこでは、社会的責任(放送人の責務)として、事実報道や、公序良俗の維持、政治的公平さ、そして多角的論点の提示といった、番組の基準(目安)も決まっている。また放送が免許制で、当該放送局には選ばれし者としての代表性があるという点からも、より高い公共性が求められよう。


 こうした放送のなかで、とりわけ高い公共性が求められているのが、四つめの〈NHK〉ということになる。みなさまのNHKというキャッチフレーズ通り、一段と高い透明性、公正性が求められている。その具体的な証しとして、予算の国会承認や経営委員会の設置などによって、市民の代表者によるチェックが可能な法制度を取り入れている。

 議事録公開を拒む

 にもかかわらず、日本郵政かんぽ報道を巡るNHKの態度は、こうした公共性を否定し続けるものだ。郵政から報道内容に関する外部圧力を、経営委員会がストレートに放送現場を預かる会長に伝えていたことが明らかになったからだ。しかも、そうした重大な決定を行った議事録の公開を、市民の代表であるべき委員会自身が拒み続けている。


 毎日新聞に紙面化された内容が事実とすれば、放送法32条で経営委員会の権限として明示的に禁止されている、個別番組を巡る論評及び関連して会長に対する厳重注意がなされている。この報道後も、一貫して経営委員会は自身の対応について問題があることを認めておらず、しかも当時の主犯格ともいえる委員が、現在の経営委員会の責任ある地位にいること自体、委員会の存在自体を揺るがしかねない状況だ。


 旧来、経営委員会議事録は非公開であった。しかし独立法人情報公開法の対象に含めるかどうかの議論の中で、言論報道機関の独立性を担保するためには、法の枠に服することが好ましくないとして、自主的な公開制度のもとで運用することとなり、2008年法改正で現在の仕組みができあがった経緯がある。


 今回の隠蔽(いんぺい)とも受け取れるような非公開の姿勢は、こうした法制定の経緯を無視し、自らが法枠組みの崩壊を引き起こしかねない行為であって、深く憂慮する。もし、どうしても非公開にすべき事由があるのであれば、そのこと自体に関し説明を尽くす必要があるが、今回はそうした説明も全くないままだ。

 重い公開責任

 しかもNHK情報公開制度における情報公開・個人情報保護審議委員会の答申は、法制度上の救済制度を有しない中で「最終」的な意味合いを持つものだ。したがって、その答申に従わないことが、視聴者(受信料負担者)の不利益になるようなことはあってはならない。もし答申を無視するような事態が起きれば、当然、情報公開制度の枠に含め、司法の場で明らかにすべきという声が高まるであろう。それは、NHKにとってというよりも、報道の自由・独立性を揺るがすものとして、市民社会にとっての大きな痛手となる。


 心配なのは、こうした事案が起こると、むしろ隠し方が巧妙になり、記録をとらない(議事録を残さない)とか、重要な意思決定を非公式会合で行うといった、より悪質な情報隠しが起きうることだ。そのようなことが決して起こらない、起こさないことを、これを機にオールNHKで明言する必要もある。


 NHKの透明性を確保するという点でも、第三者による審議という制度が持つ意義を維持するということからも、今回の事例は重要だ。とりわけ今回の議事録は、経営委員会と執行部といった、NHK運営の二元性の根幹にかかわる会合の内容である。また、視聴者の知る権利や番組編集の自立・編集権にかかわる話でもあって、社会全体が注目している中、公開するべき責任は一層重い。自らがメディアの公共性の意味を、態度で証明しなくてはいけない。

 (山田健太、専修大学教授・言論法)



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