疫病と火災が長年の脅威に 残る儀礼に薄まる防災意識 <沖縄と流行病3>


社会
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村入り口に吊るされた豚骨と、流行病の村落への侵入防止を願う人々=2008年、沖縄本島南部

 史料や遺物を根拠とせずに、特定の民俗文化の存在や発祥の年代を明らかにすることは難しい。シマクサラシも、何年前から沖縄にあったのかは分からない。

 ただ疫病は、沖縄の人々にとって古い時代から脅威として、または祈願に意識される対象であったと考えられる。

 シマクサラシに関する古い書物は少ない。現時点での初見は、今から約250年前の1768年の宮古島(『与世山親方宮古島規模帳』)に関する資料で、次に、約170年前の1855年に座間味村座間味(『仲尾次政隆翁日誌』)、1856年に石垣市真栄里(『配流日記』)に、140年前の1880年頃に、沖縄本島、中部、八重山に、シマクサラシがあったことを示す史料がある(比嘉春潮『翁長旧事談』、田代安定『沖縄結縄考』)。

 沖縄中に広まる時間

 250年前、あるいは、140~170年前にはすでに沖縄中で行われていたのか。または、そこから徐々に広まっていったのかは分からない。

 おおよそ200~300年前から「エイサー」「ハーリー」「シーミー」「ムーチー」は始まったとされるが、シマクサラシほど沖縄中に、かつ多くの村には伝わっていない。

 疫病の感染拡大という非常事態が契機となり急速に広まったとしても、琉球諸島等全域に伝わるには、相当の長い年数を要したと思われる。

 日本の村落レベルの儀礼は、農耕儀礼、祖先祭祀、防災儀礼の三つに分けられ、その中でもっとも古いのが災厄を防ぎ除けることを願う防災儀礼と考えた研究者がいた。

 沖縄では農耕が無かった時代があったというが、流行病がなかった時代はあったであろうか。

 シマクサラシは、人々の流行病に対する高い防疫意識と共に、ポピュラーな民俗儀礼より古い時代から、長い年月を要し、沖縄中に広まった可能性がある。

 先述した有名な儀礼の中には、村落によっては、「昭和の初め頃、〇〇村の人から習った」、「大正の末まで、村の中でも士族系統の方たちだけが行っていたが、徐々に広まっていったという」といった話を聞くことができる。

 シマクサラシの調査を始めた当初、そのような話が聞けると思っていた。しかし、該当事例は現時点で1例もない。これも、古い時代から沖縄にシマクサラシ儀礼があった一傍証かもしれない。

 いろいろな災厄

 災いの防除を願うのが防災儀礼であるが、そこで意識される災厄は流行病だけではない。火災(火返し・竈廻り・ピーダミ・十月タカビ)、日照り(雨願い)、害虫(虫払い、ムヌン)、多雨(日乞い)、津波(ナーパイ)、風(風の御願)などの防除が祈願される。

 「無い」意味

 特定の物事について広く多く調べて分かることは、「どこにでもある」、「どこにもない」、「そこだけにある」、「そこだけにない」の四つである。

 先に挙げた防災儀礼で注目したいのは、各儀礼を行う村落の数と分布圏である。火と虫の防除を主眼とした村儀礼は、シマクサラシのように、沖縄に広くみられる。しかし、他の災厄を対象とした防災儀礼は少ない。台風は、毎年のように襲来し、農作物や家屋、人命にも大きな被害を与えてきたが、その回避を願う村レベルの儀礼は非常に少ない。また、地震、地すべり、洪水、雷などの防除を主眼とした村儀礼は皆無である。

 怖くない災厄

 なぜ、すべての災害が均等に、その防除を主眼とした儀礼とはならなかったのだろうか。疫病・火災・虫と、それ以外の災害との違いは何か。

 それは、人々に降りかかる頻度と、被害の大きさや範囲と考える。

 猛威を振るう周期が何十年や何百年に一度と長くて、被害が狭く大きくないほど、村落の祭りとはならなかったであろう。または、なったとしても、形骸化し消失していったと考える。

 特に疫病・火災は、古くから沖縄の人々に短いスパンで、大きな被害を与える怖い脅威であったからこそ、その防除儀礼は沖縄に広くかつ多くの村で存続してきたと考えられる。昨今の新型コロナウイルスや首里城での火災など、疫病と火は今もなお大きな脅威となる災厄と言える。

 祭りに意識される災厄は具体的なものから幽霊や妖怪といったものに抽象化される傾向があるという。

 災厄として鬼が意識される沖縄のムーチーは比較的新しい祭りという見解がある。シマクサラシに意識される災厄は流行病と、具体的であることは、ムーチーよりも古いこと、そして、妖怪に抽象化する間もなく、沖縄の人々が頻繁に疫病による被害を被(こうむ)ってきたことを示唆している。

 流行病が医療の進歩によって、怖れるべき災厄ではなくなったとき、それにまつわる儀礼は消失していくのが自然な流れなのかもしれない。

 流行病が、社会や経済活動を長期に渡り停滞させるほどの脅威ではない時代が久しく続いてきた中で、全体の約半数も残ったのは奇跡的と言えよう。儀礼を継続してきた沖縄の人々に敬服すると同時に、再び流行病が儀礼のみに意識される怖くない災厄となることを願いたい。 

(宮平盛晃、沖縄民俗学会会員)