「グラウンドに着陸するつもりだったが、学生が運動していた。皆がけがをしたり、建物を壊したりしたら困るので、木に落ちた」。沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した2004年8月13日。当時、同大学の清掃員だった宜野湾市在住の女性(80)は墜落直後、乗組員らしき米兵に「大丈夫か」と英語で尋ねると、大学の本館(当時)への墜落理由をこう説明されたという。
墜落の約5分前、女性は本館で清掃をしていた。別棟へ移動する際、グラウンド方向からヘリが飛んでくるのが見えた。低空飛行で「おかしいな」と思うと、「ドーン」という大きな音が響いた。
安否を確認した米兵は事故に「ごめんなさい」とも述べていた。
米軍普天間飛行場から来た米兵らが本館周辺を封鎖し、県警が立ち入りできなかったことを覚えている。墜落の衝撃で本館の一部が破壊された。
墜落現場付近で直前まで仕事をし、たまたま席を外していた男性職員と「命があってよかった」と声を掛け合った。
宜野湾で生まれ育ち、5歳で沖縄戦を体験した女性。米軍の本島上陸後、隠れていたガマから出た時に木々の間から米兵に銃口で狙われたが、子どもだったためか撃たれなかった。
戦後は米軍基地内などで働いて英語を学び、多くの苦労を乗り越えてきた。75年間戦争がないことに「当たり前と思わず、次世代にもつなげてほしい」と語る。
事故から16年たつが、「世界一危険」といわれる普天間飛行場は動くことなく、落下物や米軍機トラブルは相次ぐ。
女性は墜落事故を振り返り「あってはならないこと。安心して学業に専念できる環境にしてほしい」と平和な学びの場を願う。
(金良孝矢)