この書は沖縄戦で米軍が上陸する前年の1944年、朝鮮半島から渡嘉敷島の慰安所に連行された裴奉奇(ペポンギ)さんの半生を中心に描かれた記録文学だ。裴さんは91年10月18日、那覇市前島のアパートで、息を引き取っているのが見つかった。享年77歳。30歳の時に慰安婦として沖縄に連れて来られてから44年がたっていた。
川田さんが裴さんに沖縄で最初に会ったのは77年12月5日。以来6年8カ月にわたり幾度も沖縄などを訪ねては裴さんらへの聞き取り取材を重ねた。録音テープは100時間を超えた。
見知らぬ男から「仕事せんで金儲かるところがある。行かないか」と言われた裴さんは釜山から船を乗り継ぎ、渡嘉敷島の慰安所に送り込まれた。
川田さんが取材を始めた当時、裴さんは南城市佐敷のサトウキビ畑に立つわずか二畳半ほどの小屋で暮らしていた。人との接触を避けるように、外と遮断された密封状態に近い小屋の中で一日を過ごしていた。
川田さんは時間をかけて裴さんの心をほどき、信頼関係を築いた。裴さんにとどまらず、島の住民、駐屯していた日本軍の海上挺進基地第3大隊の隊長ら元日本兵など多くの関係者に取材を重ねている。その結果、慶良間諸島の戦争の全体像も浮かび上がらせている。
最終章は裴さんの故郷・新礼院の訪問記だ。探し出した裴さんの姉の言葉が川田さんの胸を刺す。その時の気持ちを「黒く重い血の波紋が、身体いっぱいに拡がってゆく思いであった」と記した。取材の葛藤、苦悩を潔く読者にさらした。
最初に発刊されたのは87年2月。戦後75年の今年、新版として33年ぶりに復刻された。社会部記者だった私は、この本に出合った98年、裴さんの戦後の歩みをたどる取材をし、6回の連載を書いた。その時、川田さんに全面協力していただいた。
同書の丹念かつ緻密な取材による強固な骨組みは、時代を経ても緩むことなく、今も色あせぬまま存在している。
(松永勝利・琉球新報社読者事業局特任局長・出版部長)
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かわた・ふみこ 1943年茨城県生まれ。ノンフィクション作家。出版社勤務を経て文筆活動へ。日本軍性暴力被害者の人生を記録する一方、保育問題や若者の心の病の問題などを取材する。主な著書に「イアンフと呼ばれた戦場の少女」「琉球弧の女たち」など。