朝日が昇る海を見渡す高台に、真新しい住宅街が広がる。琉球大学に隣接する中城村南上原には、村民2万1千人余のうち約4割に当たる9千人近くが暮らす。1993年以降の土地区画整理事業で小学校やスーパー、病院などの周囲に住宅が広がる街ができた。崖沿いに整備された糸蒲公園で子どもたちの遊ぶ声が響き、そこから延びる「中城ハンタ道」を幅広い世代の人々がウオーキングする。学生から子育て世代、高齢者までが共に暮らす。キャッチフレーズは「とよむ文化とふれあいの丘」だ。
かつての南上原にはサトウキビ畑と原野が広がっていた。琉球大学が84年に隣接する西原町に移転したのを機に県が中部学園都市構想を策定。那覇と中部を結ぶ県道29号の周辺に自然環境と調和した住宅地を造る計画を立てた。村が主体となり、93年に約90ヘクタールの区画整理を始めた。2007~08年に3本の幹線道路が一部開通し、07年にサンエーなかぐすく店が開店。09年ごろから住宅の建設ラッシュとなり、13年に村立中城南小学校、認定こども園ができた。22年に事業はほぼ完了する予定だ。
人口は事業前の約1400人から19年には6倍の8637人に増えた。当初事業計画時に見込んでいた計画人口の6300人を37%上回り、村によると将来1万人に達する可能性もあるという。担当者は「那覇市と沖縄市の中間で交通の便がいい。高台のため東日本大震災後は(津波の)防災面からも注目されているのではないか」と語る。
古い住民と転居してきた人々が共に地域活動に携わる。南上原自治会の富島初子会長(77)は「誰でも受け入れる地域性がある。今年は新型コロナの影響で中止だが、夏祭りは子どもから大人までが活動の成果を発表し、千人が集まる」と話す。富島さんが自治会に携わり始めた約30年前、周辺はほとんど畑で住民も少なかった。「多才な住民が知恵を出し合い、伝統芸能のない南上原に創作組踊『糸蒲の縁』など多様な文化が生まれた」と語る。
「子どもの声がいつも聞こえる活気ある街だ。昔から住んでいる方々も『変貌した街をご先祖さまに見せたい』と喜んでいる」と話した。
(宮城隆尋)