2006年1月、当時の東風平町と具志頭村が合併して誕生した八重瀬町。かつてはサトウキビ畑が広がっていた旧東風平町は現在、国道507号沿いを中心に目覚ましい発展を遂げている。スーパーやコンビニ、ファストフード店、住宅などの建設が相次ぎ、町の風景は一変した。中でも伊覇、屋宜原、上田原、東風平の4区域は土地区画整理事業に伴い、利便性が高まり人口も増加。長年地元に暮らす住民は「生活が便利になった」と歓迎する。一方で「昔に比べ地域のつながりが薄くなっていて寂しい」という声も伝わる。
1987年、海邦国体の聖火リレーコースとしても使用された現在の国道507号。当時は県道76号で片側1車線だったが、現在は片側2車線に拡張された。国体で聖火ランナーを務めた神谷武史さん(44)は「人口は増えたが、地域の伝統芸能への参加者が増えているとは言えない。便利になる一方で、失うものもあるね」としみじみと語る。
伊覇区で区長を務める神谷光真さん(64)も「便利で生活しやすくなった」と町の変化による利便性向上を歓迎する一方、「地域コミュニティが弱まってきているのが寂しい」と漏らす。「昔は地域で子どもたちを見ていた。悪さをした子どもをるカミナリおやじもいたね」と懐かしむ。
町の風景が大きく変化し始めたのは、2000年代に入ってから。町は公共施設の整理や宅地利用を期待し、01年に屋宜原地区の区画整理事業の着工を開始。05年には伊覇地区(上田原・東風平含む)が着工された。事業費は国の補助金と町の予算でそれぞれ、約70億円と約113億円の大規模なものだった。事業に携わった町都市整備課の野原直輝主査は「町の発展は素直にうれしい。子育てしやすく住みよい町になるよう今後も尽力したい」と話す。
事業の効果で現在の4区域合計の人口は20年前の6429人から1万1691人(7月末)へと約2倍近く増加した。中でも屋宜原地区は20年前の324人から2千1人(同)と約6倍に激増した。
生まれも育ちも屋宜原で現在、区長を務める比嘉義信さん(69)は「当時は(区画整理を)よく思わない人もいたが、今では生活が便利になってよかったと思っている人が多いのではないか。若い人が自治会に加入してくれるとうれしいね」と期待した。
(照屋大哲)