市民の台所、再び姿変える 「新時代」変わらぬ風景と笑顔 糸満市公設市場<息づく街・変わる街並み>⑤


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7月にオープンした「糸満市場いとまーる」=27日、糸満市糸満(小型無人機で喜瀬守昭撮影)

 ことし7月に新築され本移転した糸満市の公設市場「糸満市場いとま~る」では、早い店だと日の出前の午前3時ごろから仕込みが始まる。又吉鮮魚店やいなみね精肉店、西南門小(にしへーじょうぐゎー)カマボコ屋…。旧市場時代からここに根を張り、糸満の食を支えてきた市場の商人たちは、装いが整った新市場でも以前と変わらない早さで開店準備を進める。

 新鮮な魚やブロック肉などが軒先に並び、午前7時前には出勤前の地域客でにぎわい出す。移転前から変わらない風景だ。

 「糸満市史(民俗資料編)」によると、市場は明治期にはすでに、上之平区のマチンカー周辺に広がっており、糸満街道(現国道331号)開通以降、海側に公設市場が造られるなどして、市場は次第に東へと広がった。1935年には現在の糸満ロータリーの西側に、個人商店が集まったミーマチ(新市場)が開設された。

 戦後の52年3月、ミーマチの西には鮮魚卸市場ができた。追うように同年年末ごろ、米軍払い下げの材木やトタンなどを使い、現在の位置に新しい公設市場が急造された。しかし耐久性が低かったために「老朽化し手のつけようもない状態」(糸満町広報紙「町の鐘」64年4月4日付)となった。それでもなんとか公設市場を維持できたのは「各業者が個人で修理し、不法ながら本建築をし生活を続けてきたからである」(同広報紙)。

 64年、市場建設費4万ドルを骨子とした追加予算案が議会で承認され、同年12月に着工。順次、店舗が新居に移った。

 しかしにぎわっていた公設市場も再び老朽化し、近隣に大型商業施設ができるなど、時代と共に人の流れに変化が生じた。2020年7月、市場は再び姿を変えた。新型コロナウイルス感染症の影響を受けて開店が遅れたが、半世紀を経て「糸満市場いとま~る」と名も新たにし、息を吹き返した。

 “市場新時代”を盛り上げようと雑貨や総菜、コーヒーや焼き芋にカレー店なども新規に参入。屋内には28店舗、外には相対売りのバラ市(野外店舗)が7店舗ある。旧公設市場時代から総菜屋「ビストロゆう」を営む金城由野さん(52)は「最近は市外だけでなく、県外の人もよく来るよ。コロナで開店が遅れた不安はあったけど、旧暦行事には変わらず人が集まるよ」と話す。

 街並みは変わっても、店の人たちの笑顔は今も変わらない。
 (嘉数陽)

1969年に撮影された糸満公設市場の一角(糸満市教育委員会提供)