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埋め立て20年、イーアス開業し住宅地も 豊見城市豊崎<息づく街・変わる街並み>⑦


この記事を書いた人 Avatar photo 照屋 大哲
住宅街が広がり、大型商業施設などが進出し発展する豊崎=27日、豊見城市豊崎(小型無人機にて喜瀬守昭撮影)

 那覇市の小禄バイパスから糸満向けに海岸道路へ進むと、約160ヘクタールの敷地に立地する豊見城市豊崎が見えてくる。5月にはDMMかりゆし水族館がオープンし、6月には複合施設iias(イーアス)沖縄豊崎の開業が県内外から多くの注目を集めた。

 23年前までは海だった区域が那覇空港に近い交通の便を生かし、県内屈指の観光地としての顔を持つまでになった。商業施設だけでなく、閑静な住宅街も広がり5千人余りの人々が生活を営む。

 「昔は何もなかったよ」豊崎自治会会長の仲本豊さん(53)はさら地だった当時の豊崎を振り返る。那覇市出身の仲本さんは、分譲が始まった2001年に豊崎に土地を求め、03年から豊崎での新生活をスタートした。豊崎の発展を間近で見てきた仲本さんは05年から自治会に加入し、子ども会を結成したり少年野球チームの支援をしたり、一から町づくりに尽力してきた。

 かつて海だった区域の埋め立て事業が動き始めたのは1988年。89年には県と豊見城村が「豊見城村地先開発計画」を策定し、その後、基本計画の見直しを経て97年8月、埋め立て工事が始まった。豊崎の歴史の幕開けだった。多くの人の知恵と思いを積み重ねて町は形づくられていった。

 道路の開通、税制面の優遇もあり、企業も次々と進出。02年には沖縄アウトレットモールあしびなー、07年に豊崎ライフスタイルサポートセンターTOMITON(トミトン)が開業した。公園も整備され、2010年には豊崎美らSUNビーチがオープン。人口増に伴い、12年に豊崎幼稚園と小学校が開校した。

大部分がさら地の2007年1月時点の豊見城市豊崎=「豊見城市地先開発事業記念誌」より

 さらに今年はオリオンビール本社が移転してきた。23年には大型リゾートホテルの開業も予定されており、豊崎の発展はとどまるところを知らない。

 一方で課題もある。防災士でもある仲本さんは「海が近いため防災、特に津波対策を考えないとね」と指摘する。豊崎には市指定の避難所がなく、災害時は市翁長の豊見城南高校が避難所となる。津波避難ビルは8カ所あるが、人口が5245人(7月末)いることを踏まえると十分とは言えないという声もある。

 仲本さんは自治会長として、防災強化や交番の設置などを求め、政財界にも掛け合い、住みよい町づくりに奔走する。発展の背景には、地域を陰で支える住民がいる。

(照屋大哲)