「平和の白い鳩」終戦の緑十字機伝えたい 経由地の伊江島、紙飛行機で往時しのぶ


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緑十字機が伊江島から離陸した時間に合わせ、手作りした紙飛行機を飛ばす村役場職員ら=20日、伊江島補助飛行場跡地

 【伊江】1945年8月、太平洋戦争の終戦手続きのため、日本の降伏調印使節団を乗せ、フィリピンに行く途中伊江島に降り立った“平和の白い鳩(はと)”と呼ばれた「緑十字機」。伊江島から東京に向け飛び立った75年前の8月20日午後6時40分に合わせ、緑十字機が離陸した伊江島補助飛行場跡地で、名城政英副村長や渡久地政雄村議会議長をはじめ、村役場の課長らが緑十字機に見立て手作りした紙飛行機を飛ばす記念のセレモニーが行われた。

 緑十字機は45年8月14日、ポツダム宣言受諾によってマッカーサー司令官が降伏手続きのため飛行を認めた日本の軍用機。機体は白く塗られ緑の十字が描かれた。フィリピン・マニラに向け8月19日に千葉県の木更津飛行場をたち、中継地の伊江島で米軍機に乗り換えた。会議を終えた使節団は20日、マニラから伊江島に戻り、再び緑十字機に乗り換えて、東京に飛び立った。午後11時55分に機体トラブルで静岡県磐田市の鮫島海岸に不時着し、住民が救護活動に当たった。

伊江島補助飛行場に降り立った緑十字機(木更津市郷土博物館金のすず提供)

 今年1月、磐田市の市民団体「緑十字機の不時着を語り継ぐ会」が伊江村を訪れ、交流の一環として今回セレモニーを開催した。鮫島海岸でも同会のメンバーが不時着した時間に合わせ、当時の様子を再現した。

 渡久地議長は「終戦に大きな役割を果たした緑十字機の存在を多くの人に知ってもらいたい」と語った。

(金城幸人通信員)