1953年の開設以来、「県民の台所」として親しまれた那覇市樋川の農連市場。市場周辺地域は2016年から防災街区整備事業による再開発工事が始まり、今年6月に完了した。防災力を高めるとともに、核となる施設「のうれんプラザ」は観光客らを国際通りから開南に回遊させる役割も期待されている。だがコロナ禍も相まって集客に課題を抱えている。
農連市場は1953年、琉球農連が米国民政府管理の土地を借りて開設した。売り手と買い手が値段を交渉しながら販売する「相対売り」で、一時は農産物流通の中心地に。だが84年の県中央卸売市場開設や大型店舗の増加、施設の老朽化によって徐々に衰退した。
那覇市などは84年に整備構想をまとめたが、具体的な進展はなかった。2001年に権利者でつくる農連市場地区市街地再開発準備組合が発足。14年に農連市場地区防災街区整備事業が県から認可された。同整備事業組合の新垣幸助理事長(90)は「合意形成に苦労した」と振り返る。
整備事業組合は約3・1ヘクタールの土地にのうれんプラザ、権利者住宅、分譲住宅、市営住宅、県の立体駐車場、通信制高校などを整備。街の様子は一変し、近代化した。事業費は約190億円。このうち約120億円は国、県、市から補助を受け、残りは市や企業などに保留床を販売し捻出した。
17年にのうれんプラザが完成。周辺の店舗に加え、新たな店舗も入居し現在、97事業者が営業する。施設は24時間稼働し、深夜から早朝までは相対売り場周辺の店舗がにぎわう。最高齢の事業者、新垣キクさん(93)は旧市場時代から60年余り野菜を売る。「昔よりお客さんは減ったけど、みんな家族みたいで楽しい」と話す。
相対売り場周辺の店舗が午前中で終わる一方、昼から飲食店などがオープンする。“二つの顔”は魅力でもあるが、のうれんプラザ管理組合の備瀬守理事長(66)は「事業者によって営業時間が異なるため、シャッターが閉まっていて空き店舗だと勘違いするお客さんもいる」と課題を語る。一方で「市営住宅ができ、子連れの若いお客さんが来るようになった」と明るい兆しも感じている。
観光客を呼び込むことも課題だ。那覇市は3月、のうれんプラザ隣に観光バス乗降場を開設したが、新型コロナウイルスの感染拡大で観光客は激減している。整備事業組合の新垣理事長は「建てて終わりではなく、その後いかに繁栄できるかだ。力を出し合ってコロナを乗り越えたい」と力を込めた。 (伊佐尚記)