独自文化「街の顔」に 北谷町 美浜アメリカンビレッジ地区 <息づく街・変わる街並み>⑩


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米国文化と融合した独自文化の街づくりを目指し生まれたアメリカンビレッジ地区=北谷町美浜(新里圭蔵撮影)

 まるで米国のような街並み―。単なる都市空間の創出ではなく、米国文化と融合した独自文化を生かし、これまで県内にはなかった特色ある街づくりが進められた美浜アメリカンビレッジ地区。戦後、米軍に接収され中心市街地が形成されず、“顔がない”と冷やかされた街は、今や、昼夜を問わず多くの人で行き交う。「素通りされることなく観光バスが停まるところ」という町民の夢は、高さ60メートルの大観覧車がそびえ、大型ホテル、飲食店が建ち並ぶ場所へと生まれ変わった。

 町民の悲願だった西海岸地域の米軍基地の返還を機に、街づくりは大きく動いた。1981年に米軍から返還されたメイモスカラー射撃場の効率的土地利用を図るため、後背地に49ヘクタールの海浜を埋め立て、94年に米国カリフォルニア州サンディエゴを模した「美浜タウンリゾートアメリカンビレッジ」の構想が始まった。

1981年に返還されたメイモスカラー射撃場の有効利用地として海浜埋め立てが行われた49ヘクタールの土地=1988年(町公文書館所蔵)

 「トントン拍子とはいかなかったよ」。辺土名朝一前町長は苦笑いしながら当時を振り返る。埋め立ての事業経費は、企業などへの土地処分金でまかなう計画を立てた一方で、バブル経済の崩壊が大きな影響を及ぼした。景気低迷により、進出決定の企業の撤退などに見舞われた。事業費の残額は約60億円で、金利は1日100万円に達した。「町財政への影響が大きい。埋め立て地の分譲が当時の行政最大の課題だったね」

 企業誘致のために町職員の会社訪問は、90社余り、延べ350回に及んだ。2000年、町は土地の分譲を完売し、負債の返済を終了。映画館、大型商業施設、ホテルなどが建ち並び始めた。観光地としての発展を後押ししたのが約2千台が駐車可能な町営駐車場だ。「管理費程度は利用者負担にすべきだ」との声もあった中、来客の長時間の滞在をかなえるために無料駐車場の設置に踏み切った。年770万人の来客数を目標に掲げた同地区は03年の調査で、達成度107・8%の830万人に達した。

 北谷町は現在、アメリカンビレッジに続き、マリン産業の拠点地となる「フィッシャリーナ整備事業」を進めている。20年度に全面開業し、23年度に事業完了の見込みだ。

 めぼしい産業がなく“顔なし街”と言われたこともあった北谷町は、ことし町制40周年を迎えた。県内の観光業を担う顔の一つとして「県民が憩えるリゾート地」を掲げ、さらなる発展を目指し歩み続けている。

(新垣若菜)
(おわり)