沖縄で戦後初の民間石油供給会社 りゅうせきが創業70周年


この記事を書いた人 Avatar photo 与那嶺 明彦
本社ビル完成前に使用していた仮事務所の前で集合写真を撮影する琉球石油の役職員ら=1952年元日(りゅうせき提供)

 りゅうせき(浦添市)は6日で創業70周年を迎えた。米統治時代の1950年9月6日、戦後初の民間石油供給会社として琉球石油が発足。以来、資源に乏しい日本のさらに離島県の沖縄で、産業やライフラインを支える石油製品の安定供給に貢献してきた。その歩みを振り返る。

 1950年7月、米国民政府は石油販売の民営化に関する公聴会を開催した。招集された民間各産業団体の代表の中に、前月に琉球水産連合会会長に就いたばかりの稲嶺一郎氏もいた。
 稲嶺氏は戦中、南満州鉄道の社員として世界中を巡った経験を持ち、49年にGHQの調査員として沖縄を調査に訪れた後帰郷していた。公聴会当日に石油販売会社の設立準備委員会を発足し、琉球石油の創業にこぎ着けた。
 多くの離島を抱える沖縄で、石油という幅広い産業の基礎となる商品を扱うことから、本島と離島間の格差解消を追求した。
 創業当初から、全ての石油製品を本島と同一価格で販売する「全島プール制」を目標としていたが、米民政府は輸送経費を負担しないと回答。輸送コストを自社で負担して、60年に本島と宮古、石垣で3島プール制を開始し、64年には全島プール制を実施した。
 先島地方では石油価格が下がり、農業生産も盛んになった。一方で大きなコストを負担することにより、経営状態は苦しくなった。現在の當銘春夫社長は当時の決算書を読んだことがあるが、利益はほぼなかったという。「離島の産業振興のために、コストを自社で負担するという決断は普通の経営者ではできない。すごい決断だ」と話した。
 1991年に商号をりゅうせきに変更し、本店を浦添市西洲に移転。復帰以降の県経済の拡大や県民生活の多様化に対応しながら、現在はエネルギー事業にとどまらず建設や流通、ホテル・飲食事業など、りゅうせきネットワークグループとして事業の多角化が進んでいる。
 創業70年を迎えた2020年は激動にさらされている。
 新型コロナウイルス感染症の拡大により、レンタカー需要の激減によるガソリン販売数量減少、ホテルの売り上げ減などの形で、りゅうせきの経営にも大きな打撃を与えている。當銘社長は「想像もしていなかった事態だ。人に来てもらって初めて成り立つ装置産業だけに、かなり厳しい」と話す。
 自動車業界の技術革新も進み、環境面からも脱石油の世界的な流れは一層加速することが予想される。19年にはグループの大規模な組織再編に取り組み、多様なニーズに迅速に応えられる体制を整えた。県外大手など他社と連携して石油ガス事業以外の事業の模索も続ける。當銘社長は「100年企業になるためには、何のために企業があるのかを立ち止まって考える必要がある。沖縄に貢献できる人材を育てることで、地域社会に選ばれる企業として成長していきたい」と話した。