9月7日は「沖縄市民平和の日」…元市職員、モニュメントに願う未来


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 【沖縄】沖縄市は1945年9月7日に、現在は米軍嘉手納基地内にある旧越来村森根(現沖縄市)で日本軍の降伏調印式があったことから、同日を「沖縄市民平和の日」と定め、さまざまな平和事業に取り組んできた。その一つとして、同市登川にある市農民研修センターには平和モニュメントが設置されている。

平和行政の一環で設置されたモニュメント(奥)について語る屋宜栄信さん=3日、沖縄市農民研修センター

 市は93年に条例で「沖縄市民平和の日」を制定し、平和行政を推進した。当時、平和文化振興課平和文化係長だった屋宜栄信さん(73)は「行政は全ての業務について、市民の平和のために行うという理念に基づいていた」と話す。「平和」とは戦争がない状態だけでなく、全ての人の人権が保障され、差別や貧困などを解消することを意味したという。

 屋宜さんは平和行政の一環で、モニュメント設置にも携わった。市農民研修センターにあるモニュメントは93年に施工。元々は、糸満市の平和祈念公園で開かれたコンサートで展示するため、宮大工の吉川輔良さんが平和への思いを込めて制作したものだった。

 約10メートルの木造の3本の柱は平和と福祉、文化を、頂上の球体が地球を表している。コンサート後に撤去されることを聞いた屋宜さんらが直接交渉し、市の平和行政に賛同した吉川さんが市へ寄贈した。

 市職員として平和への思いを胸に事業に関わった屋宜さん。「平和はもろいものだと思う。過去に学び、平和な社会をつくるために自ら行動することが大切だ」と語り、次世代に思いを託した。

 沖縄を攻撃した米第10軍は、日本が45年9月2日に東京湾上のミズーリ号で降伏文書に調印したことを受け、7日に同軍の本部があった当時の越来村森根で沖縄戦の降伏調印式を開いた。式には日本軍と米軍関係者らが参加し、公式に沖縄戦が終結した。

(下地美夏子)