250年続いた奴隷制度、バージニア州から始まった<Black Lives Matter運動から見えたこと>③


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 嶋野 雅明

 1619年8月、20人の黒人が英国領の植民地だったバージニア州ジェームスタウンに、北アメリカで最初の奴隷として上陸した。それがアメリカの奴隷制度の、最初の一歩だった。南部の州ではそれから長年にわたって奴隷化された黒人の輸入が続いた。奴隷制度は250年も継続されることになった。

 ジェームスタウンから西へ1時間程の場所にあるバージニア州の州都リッチモンド。早くから英国に輸出するタバコや小麦、トウモロコシの生産が盛んに行われ、バージニア州の重要な産業になっていた。プランテーション(大規模農場)では多くの黒人奴隷が労働力として使われてきた。そのためリッチモンドは、奴隷商人らによってアフリカから連行された奴隷の最大取引拠点となった。

 今回、当時の奴隷たちが通ったスレイブ・トレイル(奴隷の歩行ルート)をたどってみることにした。市街を流れるジェームス川は下流の東へ進むと大西洋につながり、奴隷を運ぶアクセスとしては地理的に好都合である。舟で輸送された奴隷たちは木製の首かせをさせられ、船着き場から監禁所まで約8キロの道を歩かされた。川沿いの道は今でも雑木がうっそうと茂り、人1人のみが通れる狭い道となっている。

 当時と違うのは随所に奴隷の歴史の記念碑があることだ。アフリカから船に乗せられ、何カ月もすし詰め状態で満足な食事も与えられず、船内を歩くスペースさえなく排出も垂れ流し状態で、航海中に飢え死にや病死する奴隷たちも多かった。リッチモンドに着いた奴隷たちは、新世界に連れて来られどんな気持ちでこの道を歩いたのだろうか。

 監禁所から出された奴隷たちはオークション会場に連れて行かれ、会場に集まる紳士然とした白人男性や婦人らに品定めをされた。その日売られる奴隷の性別、年齢、体重など身体的特徴が書かれた価格表が配布され、奴隷たちはその場で体を入念に検査され家畜や骨董(こっとう)品同様に売られたのだ。

 スレイブ・トレイルを探索すると、当時リッチモンドのダウンタウン15番街を中心に数十軒のオークション会場や収監所、奴隷商人らの事務所にホテルなどが並び、奴隷市場の繁栄ぶりが伺え、負の歴史が見られた気がした。一般の人に奴隷制度当時の史実を分かってもらうためにガイドツアーが定期的に行われ、若者らが参加している。ただ、奴隷同士が抱き合うブロンズ像には下賤(げせん)な言葉が大きく落書きされており、いただけない思いになった。
 (バージニア通信員)