「社員の奮闘に感謝」流通業の発展に手腕 リウボウグループ代表・比嘉正輝氏(経済・産業功労)


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リウボウ 比嘉正輝会長

 私でいいのかと驚いている。受賞できたのは、創業から現在までの社員の頑張りのおかげだ。「第二の創業」と呼んでいる西友との資本提携解消の際、県内の主要企業に合計20億円出資していただき、支援してもらった。リウボウが今あるのは皆さまのおかげだ。

 リウボウの前身、琉球貿易商事創業家の宮里辰彦氏の娘婿として入社した。グループの転機となった国内スーパー大手西友との資本提携を担当した。西友をはじめ西武セゾングループのノウハウを吸収し、スーパーマーケットのリウボウストア開業、デパートの規模拡大、コンビニの沖縄ファミリーマート開業と事業を多角化してきた。その展開は県内流通業の発展につながっている。「私はジンブン(知恵)はないけど、誠意を見せることはできる」と難しい交渉役を担ってきた。

 1991年にパレットくもじの中核店舗として、デパートは松尾から久茂地に移転した。当時、県内に百貨店は三つあったが、現店舗を閉めて移転するというパレットくもじの入居条件をクリアできたのが、当時最も売上高が少なかったリウボウだけだった。「無借金だったのが一気に100億円の借金を抱えることになった」と苦笑いする。

 その後、山形屋、沖縄三越が閉店し、県内唯一の百貨店となった。リウボウグループも西友との資本提携を解消するなど、めまぐるしく環境は変化した。「私はできる人を連れてきただけ」と話すが、人の能力を見極め、適切な仕事を任せてきたことがグ
ループの発展につながっている。

 売り場の販売員には「『あなたから買いたい』と言われるようにあなたを売り込みなさい」と伝えている。「相手がどんなに大きい企業でも最終的には人対人」。小売業の最前線で得たビジネスの極意だ。

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 ひが・まさてる 1944年4月21日生まれ、那覇市出身。76歳。リウボウグループ代表、リウボウ社長。大同火災海上保険を経て74年にリウボウ入社。婦人衣料課長、取締役営業部次長、取締役経理部長、常務取締役企画室長などを担当し、94年にリウボウインダストリー社長に就任。デパートだけでなく、スーパー、コンビニと業態を広げ、県内流通業の発展に尽くした。