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「パーラー」一番人気は激安じゅーしーおにぎり…ネパールカレーは「ゆいまーるの味」<まちぐゎーひと巡り 那覇の市場界隈11>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
太平通りのアーケード入り口にある「上原パーラー」=18日、那覇市松尾

 お昼時が近づくと、太平通りには軒先に惣菜(そうざい)を並べる店が増えてくる。中でも目を引くのが、アーケード街の入り口にある「上原パーラー」だ。

 「ここで店を始めたのは、私ではないんです」。現在、「上原パーラー」を切り盛りする知花美智子さん(61)はそう語る。創業者は名前の通り上原文子(ふみこ)さんで、美智子さんの姉・玉里幸子さん(66)は従業員として「上原パーラー」に勤めていた。高齢を理由に上原さんが引退することになり、「あなたが引き継ぎなさい」と指名され、店名を変えないまま幸子さんが店主となった。それが約40年前のことだ。

 「最初は今のようにたくさん商品を陳列してたわけじゃなくて、窓際から品物を出す感じで商売をやっていたんです。パーラーという名前だから、はじめはアメリカンドッグやたい焼き、ソフトクリームやサンドイッチ、それに天ぷらを売ってましたね。内地の人からしたら、パーラーに天ぷらって不思議に思うかもしれないけど、私たちはそんなに深く考えないで、天ぷらや揚げ豆腐を売ってましたね」

大繁盛のきっかけ

「上原パーラー」を切り盛りする知花美智子さん=那覇市松尾

 パーラーとは、フランス語の「parloir」(談話室)から派生した言葉。アメリカ世の時代に沖縄にはパーラー文化が定着し、軽食を提供する簡易店舗が「パーラー」を名乗るようになったのだという。最初はハイカラなメニューが多かったけれど、売れ行きが鈍く、お客さんのリクエストに応じて茹(ゆ)で豚足にソーミンチャンプルー、油かすとメニューが増えてゆき、現在では沖縄の家庭の味をメインに提供している。

 「うちの向かいには昔、農連市場があって、夜中2時ごろからものすごく賑(にぎ)わってたんですよ。そこのおばちゃんたちが、明け方になるとご飯食べにくるから、朝早くからやってる店が多かった。それでうちも、朝6時にはお店を開けるようにしたんです。ただ、昔は仕事の途中で座ってごはん食べたり、テレビを見たりする時間もあったんですよ。それが、30年くらい前に隣の奥間青果さんがオープンしてから、大繁盛が始まったんですよ。野菜を買いにきた方が、ついでにうちで惣菜を買って行ってくれる。だからもう、奥間さんのおかげだねーってよく話してます」

手頃な価格に

「上原パーラー」の(右から)店主の知花美智子さん、玉里幸子さんと従業員ら=那覇市松尾

 早朝から営業を始められるように、仕込みは前日のうちに終わらせておく。朝6時に店を開け、完成した商品から次々店に並べてゆく。「売りながら仕込みもするから、一日中忙しいんですよ」と美智子さんは笑う。「商売繁盛で忙しいんじゃなくて、仕込みするのに忙しいだけだね」と。

 「上原パーラー」の惣菜はどれも手頃な価格で販売されている。一番人気のじゅーしーおにぎりは2個入りで150円。消費税が10パーセントに引き上げられてからも、値段を変えずに営業を続けている。

 「レストランで食べるなら700円、800円出すお客さんが多いと思うんですけど、まちぐゎーで惣菜を買おうとしたときに500円って書いてあると、躊躇(ちゅうちょ)すると思うんですよね。だから、なるべく買い求めやすい値段にしてます。私自身、贅沢(ぜいたく)な人間でもないんですよ。そんなに利益、利益と考えなくても、従業員のお給料を出して、仕入れのお金を払って、手元に私の生活費がちょっと残ればそれでいいんです」

 魚が大量に入ってくれば魚を出し、よもぎが入ってくれば『天ぷらにしたらどんなかねー』と揚げてみる。幅広い惣菜が並ぶ陳列棚で、異彩を放つのは「ネパールのチキンカレー」だ。

 カレーを出すようになったきっかけはネパールからの留学生ダガル・ティカさん(29)が「上原パーラー」でアルバイトするようになったことにある。美智子さんはネパール風のカレーを食べたことはなかったけれど、ダガルさんが作るカレーを試食すると、すぐに販売することにしたという。

 「最初は私が隣近所にセールスして、ちょっと食べてみてーって言ってたんですけど、奥間さんのところに仕入れにくるお兄さんが珍しがって買って行ってくれるようになったんです。一度食べたお客さんは、『美味(おい)しかった』とまた買いに来てくれる。最初は10食も作らなかったけど、今ではカレーだけで30食は出てますね」

助け合いの商売

ケースに並べられた天ぷらなどの商品=那覇市松尾
チラガーの表面の毛を1本1本、丁寧に抜き取る玉里幸子さん=那覇市松尾

 天ぷらを何個か買ってくれたお客さんには、売り物にはならない小さな天ぷらをシーブンする。「単に商品を売ってお金を受け取るというだけじゃなくて、買い物のついでに会話しながら、お互いに助け合っていく。それがうちなーんちゅの商売なんです」と美智子さんは言う。

 「私たちの世代は、ちっちゃい時は隣近所のおうちでごはんも食べたし、お風呂も入れてもらったし、そうやって生きてきたんです。そのゆいまーる精神を、ネパールの子たちを見ていると思い出すんです。ネパールの子たちは、4人いれば4人で分けて食べるし、親兄弟が近くにいないぶん、友達同士で助け合ってる。私たちが忘れかけている優しさがあるような気がしますね」

 まちぐゎーの風景は、少しずつ変わりつつある。それでもなお、ちゃんぷるー文化とゆいまーる精神がたしかに息づいている。

(ライター・橋本倫史、写真はジャン松元)

 はしもと・ともふみ 1982年広島県東広島市生まれ。2007年に「en-taxi」(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動を始める。同年にリトルマガジン「HB」を創刊。19年1月に「ドライブイン探訪」(筑摩書房)、同年5月に「市場界隈」(本の雑誌社)を出版した。


 那覇市の旧牧志公設市場界隈は、昔ながらの「まちぐゎー」の面影をとどめながら、市場の建て替えで生まれ変わりつつある。何よりも魅力は店主の人柄。ライターの橋本倫史さんが、沖縄の戦後史と重ねながら、新旧の店を訪ね歩く。

(2020年9月25日琉球新報掲載)