陸軍が集落周辺に陣地壕 宜保光明さん 故郷へ帰る(2)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
豊見城市座安の集落。背後の丘が若知花森

 豊見城村(現豊見城市)は海軍司令部壕(海軍壕)、与根飛行場などの日本軍の軍事拠点が築かれた地です。宜保光明さん(76)=豊見城市=が暮らす座安集落の周辺でも1944年9月以降、陸軍が陣地壕を築きました。

 《海軍壕は公開されていますが、陸軍壕はよく知られていません。座安と渡橋名にまたがる若知花森(わかちばなもー)に陸軍壕は構築されています。》

 若知花森は座安、渡橋名の背後にある丘陵地です。現在の県道256号を挟んで西側には与根飛行場が造られます。陣地構築に伴い日本軍も集落に入ってきます。

 《私は歩き回る子どもであったようです。ある日に日本軍兵士の数人で来訪して、私を遊ばすふりをして住宅に上がり込んで居座ってきたといいます。

 当初は間もなく引き上げると予測したけれど、陣地構築中居座りました。兵士は部隊の交代ごとに代わったようです。

 兵士とはだんだんと親しくなって一番座、二番座に宿泊してもらい、毎日の食事を要求します。しかも家畜の鶏、豚、山羊、牛もすべて提供するよう求められています。》

 戦後になり、日本兵と友好的だった住民を非難するような動きが一部であったといいます。日本軍駐屯の影響は戦後にまで及び、住民の心にも影を落としました。宜保さんは「戦争は交戦中のみが戦争ではない」と語ります。