戦跡、引き継ぐべき財産 宜保光明さん 故郷へ帰る(9)<読者と刻む沖縄戦>


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現在の豊見城市座安。宜保さんは避難壕の保存を求めている

 豊見城村(現豊見城市)座安に戻った宜保光明さん(76)=豊見城市=ら家族の元に、防衛隊として戦場に駆り出されていた父の来蔵さんが帰ってきました。

 浦添の戦闘で負傷した来蔵さんは具志川村(現うるま市)天願で米軍の炊事係をしていました。

 《父は帰りに米国製の払い下げ品の農具、のこぎり、金づち、ジュラルミン製の保管庫を米軍のトラックに積んできました。》

 来蔵さんは家畜商を再開しました。

 《父は家畜商を始め、他は農業に打ち込み、田畑の復元に取り組みました。父は砲弾の破片が体内に残り、復元作業が無理だったのでしょう。私には牛、山羊の草刈りをさせました。》

 住民はユーレーシグトゥ(共同作業)で集落を復興しました。道路建設、遺骨収集も住民の仕事です。沖縄戦で集落の伝統行事の担い手が亡くなりました。沖縄戦で追った痛手から脱するのに住民は懸命でした。

 家族は夜ごと、沖縄戦の体験を語り合ったといいます。光明さんは地上戦の最中に避難した壕の保存を求めています。

 《今、この地で何事もなかったように思う人もいると思う。そのためにも戦跡は残すべきだ。後世に引き継ぐべき財産です。》

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 宜保光明さんの体験記は今回で終了です。次回は当真嗣寿雄さんの体験記です。