沖縄に広くある防疫儀礼の代表的な名前はシマクサラシだが、内容がほぼ同じであるにもかかわらず、その言葉が通用しない地域がある。本島北中部では同儀礼はカンカーと呼ばれる(北部でハンカ)。
人の移動や伝聞により文化は点在するはずと考え、北部でシマクサラシ、南部でカンカーを探し回った。
しかし、南部でカンカーを知りませんかと尋ねると「空き缶?」。北部でシマクサラシと問うと、「宮平さん。そのような悪い言葉は口にしない方が良い」(島を腐らし?)と返答された。
思わぬ再会
南部でのカンカー捜索を諦めかけていた時、ある土地に足を踏み入れた途端、多くのカンカーを見つけることができた。「佐敷町(現南城市)」である(計7村落)。名称だけではなく、儀礼を行うカンカーモーという広場もあった。
この近くにカンカーがあるはずと探したが、佐敷を一歩出ると、再びカンカーは消えた。
それまで見つかったカンカーを地図に落とすと、浦添市北端の「牧港」を最後に、その南からぱったりと無くなっていることに気づいた(地図を参照)。
さらに、115のカンカー系の村落の中で牧港でだけ、カンカーの他、カンナー、カンカナー、カンカニーといった唯一無二の名称が、しかも複数確認できていた。
単なる偶発か。なぜそれは他の114村落では起こらなかったのか。
また、牧港から約2キロ北東の宜野湾市真志喜という村落にも、カンカーに関する無二の事例がみられた。シマクサラシとカンカーを一日違いで別儀礼として行ったという。
カンカーに関する類の無い事例が牧港一帯に二つもみられる。これは、牧港一帯がカンカーの語意や発祥を理解する上で重要な地であることを示していると考える。
「鉄」という言葉
そもそもカンカーという言葉の意味は、はっきりとは分かっていない。
カンカーは主に本島北部、つまり、奄美諸島に近い地域にみられるが、奄美にも防疫のため骨を吊(つ)る儀礼があり、カネサルという。名の通り、10月の庚申(カネサル)の日に行われる。庚は十干という日にちを数える符号の一つで、辛とともに金(金属)に属するとされ、儀礼に使う豚を庚豚(カネワー)、儀礼での供物を食べると鉄のように丈夫になるとされる。カネサルは鉄に関する名称と考えられる。
次に、鍛冶屋で加工する鉄器をのせる鉄製の台を鉄床(かなとこ)といい、方言でカナカ・ハンカという。
宮古島にはカンカと付く神と拝所があり、一つは古く島に初めて農具を普及させた大和人の神名(カンカ主)で、もう一つは機械にまつわる神が祀(まつ)られたカンカムトゥという御嶽である。当御嶽は鍛冶屋を意味するカッチャームトゥとも呼ばれる。
以上に加え、方言の鉄(カニ)との関連性を想起させる牧港のカンカニーという名称から、カンカーは鉄にまつわる言葉と考えられる。
鉄と疫病
ピンと来ない。なぜ、動物を使い疫病を払う祭りの名前が鉄なのか。
その謎の解明の糸口を特徴的な分布形態を示す佐敷と牧港の歴史的特性から探りたい。
沖縄の歴史の中で、牧港と佐敷に文化圏が存在した時代はいつか。歴史を遡(さかのぼ)ると、察度王と尚巴志王の時代が浮かび上がってくる。また、両時代には「鉄」という共通点もある。
鉄と牧港、佐敷
1300年代後半、中山(現在の本島中部)を支配する察度が中国や日本と貿易を行った港が牧港といわれる。
琉球最初の正史、『中山世鑑』に次の記事がある。
「金宮(クガニナー)に住んでいた察度は、牧港に多くやってきた日本の商船から大量の鉄を買取り、農耕を営む者に与えて農具を作らせた」
後の1400年代初め、察度王統を滅ぼし、三山の統一を成し遂げ、琉球王国を成立させたのが1372年生まれの尚巴志であり、拠点が佐敷であった。
「尚巴志は、与那原に来ていた外国の商船から鉄を入手し、百姓たちに与え農具を作らせた」
『中山世譜』の尚巴志王の項の記事である。
察度と尚巴志の間には、ほぼ同年代、異国船との貿易により鉄を入手し庶民に与え人望を得、国を統治したという共通点がある。
両地域には、文献史料と同じ内容の伝承も残り、両氏に由緒ある場所には、黄金宮(クガニナー)、佐敷金杜(カナモリ)と、鉄(カニ)に関する言葉が入っている。
カンカー系の特徴的な分布と名称がみられる両地域に、鉄にまつわる史実と伝承、地名があることを単なる偶然と片付けることはできない。
つまり、琉球王国成立の直前頃、鉄器と共に動物を要する防疫儀礼が流入してきた可能性がある。
次回、鉄・疫病・動物・儀礼が交差した時代の背景を深掘りする。
(宮平盛晃、沖縄民俗学会会員)