人材育成の契機に 修理・再現部門を作り後進に道を 仏像彫刻師 仲宗根正廣(1)<再建に描く未来・首里城焼失1年>


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首里城正殿内の扁額を彫った仏像彫刻師の仲宗根正廣さん=9月、沖縄市照屋

 仏像彫刻師の仲宗根正廣さん(67)は首里城正殿内の扁額(へんがく)の文字を彫る作業に全身全霊をささげてきた。焼失2カ月前の2019年8月29日、初めて自分が彫った扁額を正面から撮っていた。「後で考えると、あの時、写真を撮ったのはまるで神様のお告げのようだった」。涙目で語った。首里城焼失の衝撃は1年たった今も消えることはない。

 幼い頃、画家で彫刻家でもあった故・山田真山画伯との出会いが彫刻師を目指したきっかけだった。当時、小学生だった仲宗根さんは夏休み中で、友だちと山田画伯の宜野湾にある工房に入り込み、大仏に登って遊んでいた。すると、山田画伯は優しい口調で仲宗根さんたちを大仏から降ろし、戦争の悲惨さや仏像製作の意義を教えたという。

 「山田さんとの出会いで仏像彫刻に興味を抱き、その教えは、戦争で破壊された物を復元することへの芽生えとなった」

 27歳ごろ県外に移り、12年間仏像彫刻師のもとで修業した。期間中、師匠が毎日必ず仏教について1時間話した。ある日、師匠は「何千年も前から残ったものもあるが、形があるものは必ず消滅する」と説教した。「修業の場でこだわらない、執着しない」という教えだった。今回の首里城焼失を振り返るたびに、それでも「何で焼失したのだろう」と自問自答する。

 首里城公園開園10周年記念の一環として、2001年に扁額制作の声が掛かった。同時期に母が体を壊した。母を支え親孝行をしたかったが、大事な仕事をこなすため、仕方なく母を介護施設に預けた。「1日に約12時間作業し、約2カ月間で二つの扁額の彫刻が出来上がった。母に彫った字を見せると、とても喜んでもらえた」と、形を変えて親孝行がかなった。13年に母は亡くなった。

 昨年、首里城が燃えているテレビ映像を見た瞬間、起きていることが信じられなかった。「再建に自分が関わるかどうかも分からない。再び作っても喜んでくれる身内がいない。今は天命を待っている感じだ」とため息が漏れた。

 首里城の早期再建の機運が高まる中、職人たちには焦りもある。漆塗装職人の諸見由則さんによると、県内では復元工事に携われる漆塗装職人は現在約15人いるが、復元作業には最低20人が必要という。「壁の漆塗装の人材育成は最低1~2年はかかる。若手の育成は今から取り組む必要がある」

 人材を育成しても、すぐに仕事がない現状も指摘した上で、諸見さんは「復元工程表を早く決めてほしい。人材育成も取り組みやすくなる」と求める。仲宗根さんは「沖縄美ら島財団などが琉球王国時代の美品修理・再現部署を作れば、首里城復元作業が終了しても、日々仕事があり、職人も育つだろう」と提言し、首里城再建を機に後進の未来を見据える。

 (呉俐君)

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