収容所 米軍犯罪におびえ 中島政彦さん 故郷へ帰る(23)<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
現在の中城村久場。引き揚げ者の収容所が置かれた

 中島政彦さん(89)=那覇市=ら沖縄出身者を乗せ基隆港をたったLST(戦車揚陸艦)は海外引き揚げ者の上陸地であった中城村久場崎に着きました。

 《「おーい、沖縄が見えてきたぞ」。朝もやをついて誰かが叫んだ。甲板に多くの人々が集まってきた。地平線の彼方に細い縄のような影が目に映った。

 「あれがわれわれの故郷沖縄だ、良かった良かった」。私の脳裏には安堵と、あまりにも荒れ果てた姿に、戦争という忌まわしい悪魔が重なり合い、これからの生活への不安が高まってくる。》

 長い桟橋を歩き、陸地に上がった中島さんは殺虫剤DDTの洗礼を受けます。

 《そこに待ち受けていたのはDDTの散布であり、頭髪からパンツの中まで白い粉末がまかれた。こんなにまで惨めな思いをするのか、と敗戦国民の哀れを感じ、涙が出た。》

 上陸した人々は桟橋の近くにある久場崎収容所のテント小屋で過ごします。

 《風雨をしのぐだけのテント小屋の生活で一番不安なことは米軍の犯罪であった。真夜中にテントをこじ開けて侵入する暴漢におびえ、ガスボンベを鳴らし、大声を張り上げて女性を守ることに懸命だった。この時ほど戦勝国と異民族支配下の沖縄県人の違いをまざまざと見せつけられたことはなかった。》

 中島さんらはその後、両親の出身地、首里へ向かいます。