両親の故郷、首里で親戚探し 中島政彦さん 故郷へ帰る(24)<読者と刻む沖縄戦>


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現在の首里大中町。米軍の採石で地形が変わった

 中城村の久場崎収容所にいた中島政彦さん(89)=那覇市=は地上戦で傷ついた沖縄の姿に衝撃を受けます。

 《島々は緑が失われ、白い岩盤が不気味に露出し、沖縄戦を恨むがごとく空を見上げている。至る所に戦車や軍用車両が放置されており、弾痕が生々しく戦禍の跡をとどめている。》

 中島さんらは親類捜しを始めましたが情報が入りませんでした。両親の出身地である首里に向かいます。本籍地である大中町は米軍による採石や道路拡張によってかつての姿をとどめていませんでした。この地にテント小屋を建てます。

 《過酷な激戦であっても、身内の一人ぐらいは生きているのではなかろうかと、両親の出身地である首里市街に入った。

 本籍地の大中町は変わり果て、県立一中の通学路にあった「大中大石の島袋」の屋敷は米軍の道路建設のために削り取られ、砂利のくぼ地となっていた。

 平坦な敷地にテント小屋を建て、現在の末吉公園に放棄されていた木片を拾い集め、床に敷きつめ、灯油ランプ生活を始めた。食料は米国政府より支給され、配給所に並び持ち帰った。》

 一つのテント小屋に2世帯で暮らしたそうです。その小屋も台風で壊されました。「台風でテントがみんな持って行かれました。家を建てることができないのでテント小屋を直すんです。大変な生活でした」と中島さんは語ります。