生まれたときから首里城が「あって当たり前」だった20代は、首里城焼失に何を思うのか。首里城でガイドをしている大学生の稲福政志さんに、SNSで呼び掛けてもらった。「首里城でゆんたくしませんか?」。集まったのは、首里城そばにある首里高校出身で、県内の大学に通う学生たち。正殿があった場所ってこんなに狭かったんだ」。がれきが撤去され、再建工事が進む現場にたたずんだ4人。首里城への思いを語り始めると、等身大の言葉が並んだ。
(取材=デジタル編集担当・上里あやめ
撮影=新里圭蔵)
宮里里歩さん 1998年生まれ、21歳。那覇市首里在住の沖縄大学4年生。
稲福政志さん 1998年生まれ、22歳。那覇市首里在住の琉球大学4年生。
國吉由記さん 2000年生まれ、20歳。那覇市長田在住の琉球大学2年生。
安里美紀さん 2000年生まれ、20歳。那覇市繁多川在住の沖縄国際大学2年生。
若者にとっても別格の古都
首里城の正殿などが復元されたのは1992年。4人が物心ついた頃には首里城は既に一大観光地だった。那覇でも首里は古都として特別な雰囲気を持ち、地元の人は「首里人(すいんちゅ)」と呼ばれる。同じ那覇でも他の地域に育った國吉さんと安里さんにとって、首里高校に通うまで首里城は身近な存在ではなかったという。
宮里 首里城は自分にとって「庭」でした。首里城公園内の首里杜館(すいむいかん)には、軽食が楽しめるカフェがある。おばあちゃんに連れられてよくアイスクリームを食べに行っていました。観光客に声を掛けられて「めんそーれー」と返すこともありました。
國吉 小学生の時から沖縄の歴史が好きでした。(琉球王国が舞台のドラマ)「テンペスト」を何度も見ていたので、実際に首里城を見たときは本当に感動しました。首里と他の地域では言葉の雰囲気が違うと思います。首里の言葉は「京都っぽい」というか、高貴、上品というイメージ。
安里 高校3年生の時に首里城公園で開催された「中秋の宴」を見に行ったんですけど、大きな月に首里城が照らされて、本当にかっこよかった。
宮里 首里高生は卒業アルバムの写真を首里城で撮ったんです。公園内の好きな場所で。焼失してしまった今、そういうこともできなくなったんだって寂しい気持ちがします。
どうして泣いたのか
2019年10月31日未明、首里城が燃えた。4人は自宅でテレビに映される衝撃の映像を見つめた。
稲福 朝、SNSを見たら火災に関する投稿ばかりだった。僕自身も放心状態で、昼1時ごろに(首里城ふもとの)龍潭へ行くと、いつも正殿が見えていた場所がぺちゃんこになっていた。首里城の方向を見つめたまま1時間くらい動かないおばあちゃんがいたんです。取材に駆けつけたメディアもたくさんいたんですが、「お願いだから、おばあちゃんには話しかけないで」と思っていました。おばあちゃんは首里城と話をしていたんじゃないかと思います。印象的でした。
宮里 テレビは燃える首里城の映像ばかりで、祖母は「見たくない」と言って消してしまいました。私も、実際目にしたら現実を受け止めないといけないと思うと、なかなか足を運べなかった。ちゃんと見に行けたのは1カ月後です。
國吉 毎年11月にある首里城祭を楽しみにしていました。焼失した首里城をすぐには見に行けなくて、首里城祭が行われるはずだった11月3日に龍潭から見ました。10月31日にテレビで火災の様子を見たときに泣いて、龍潭でもまた泣きました。どうして泣いたか聞かれたら答えられない。言語化できない初めての感覚でした。
安里 火災があった日、学校帰りに母と龍潭の前を通ったんです。観光客が、燃えてなくなった正殿をバックに記念写真を撮っていて。「どうして笑顔になれるんだろう。火災の様子を見て何を感じたのかは分からないけど、そんな笑顔で撮らないで」と思ったのは覚えています。悪気がないと分かっていても複雑でした。
軽いノリ、感じた温度差
首里城の火災後、高校生や大学生など県内各地で若者たちによる募金活動が広がった。宮里さんと國吉さんもその一人だった。その年は台風や豪雨など災害が日本列島を襲ったこともあり、募金活動には葛藤もあったと明かす。
宮里 11月初め頃に那覇市のパレットくもじ前や沖縄大学の学園祭で募金活動をしました。活動が新聞に取り上げられて、記事を読んだ人から手紙をもらったり、海外から反応があったりしました。「ありがとう」という一言にすごく感動しました。
國吉 災害が発生して生活に困っている人がいる中で、文化財を再建するための募金を集めている場合じゃないという雰囲気が一時期ありました。首里城再建のために集めたお金だけど、その人たちを優先した方がいいのかと悩んだこともありました。でも、別物じゃないですか。災害と首里城が燃えてしまったことを比べようがない。何が一番いいのか結論は今も出ていないです。
稲福 火災があった日、大学で他の学生たちが「首里城なくなったよね、やばいよね」と盛り上がっていた。僕としては親を亡くしたように悲しくて、学校に行くのもしんどかった。首里城に対する思いに温度差を感じた。それがめっちゃきつくて。でもこれがリアルなのかと思いました。
宮里 大学の専攻で首里出身者が私一人。「お前の家燃えてたんじゃん?」という冗談を言われて、「あ、やばい何て返そう」と戸惑いました。
安里 私の周囲でも、そういうノリありました。10月31日がハロウィーンだから、「いたずらされたんじゃない?」と言う人も。軽い冗談で言っただけだと思う。ただ、私自身も那覇出身だけど首里ではないので、首里城に思い入れがある人と比べると温度差があったかもしれません。
メモリアルデーにしないために
焼失した首里城が取り上げられるとき、「沖縄のシンボル」や「沖縄県民のアイデンティティー」と表現されることが多い。一方で、多様な考えをこれらの言葉に押し込めることに、違和感を覚える人もいる。大学生の4人が考える首里城の未来とは。
稲福 火災があって、「首里城への思い入れがないと駄目」という雰囲気があるような気がして嫌なんです。僕にとって首里城は身近なもので、その景色がなくなってすごく悲しかった。自分の身の回りにあるものをもっと大切にしようと思った。でも、それは僕にとって首里城なだけで、人によっては近所の商店かもしれないし駄菓子屋かもしれない。思い入れのある場所はそれぞれ違う。
國吉 稲福さんの話を聞いて、自分は逆に首里城への思いを強制している側だったかもしれないとはっとしました。「みんな同じ思いだろう」って思い込んでいた気がします。燃えたことは、どう考えても悲しいことだけど、自分の身の回りにある大切なものに気づく機会なのかもしれない。
稲福 僕は首里城をガイドする際に、面白い警備員のおじちゃんがいるとか、実は首里城にカニがいる、ハート形の石があるとか、そういうガイドブックに載っていないことを伝えている。入り口はそれでもありだと思う。最初から首里城へ思い入れがなくてもいいから「まずは行ってみようよ」って。
國吉 今日初めて火災後の首里城を自分の目で見た。実際に見るとインパクトがすごかった。メディアを通して首里城の様子を知って満足している人も多いかもしれない。わざわざ足を運ぶまでもないって。でも、一度は自分の目で見た方がいいって思った。
稲福 再建工事がすごいスピードで進んでいる。鉄骨が焼け残っていた南殿と北殿も解体されて、気がついたらがれきも無くなって…。みんなに再建前の今の姿を見ておいてほしい。
安里 再建途中の首里城を見た人と見ていない人では、再建されたときの達成感や安心感に差があると思う。自分は焼失前の首里城を見たときの迫力や感動をすごく覚えているので、再建工事の様子を見ていると、次はどんな首里城が見られるのか楽しみに思っています。
稲福 再建される首里城は、みんなの思いが込もったものであってほしいと思います。このまま急速に再建された首里城を見ても、僕は何も感じないかもしれない。建物ができた、という事実しか残らないような気がして。火災から1年というタイミングですけど、それをイベントみたいにしたくない。メモリアルデーではなくて、常に考えること、みんなで話し合うことをしたい。
宮里 「思い出す」のではなく「思っていたい」よね。