社会

30代、首里城に甘えていたかも…「再建ゆっくりでいい」【WEB限定】



 沖縄戦で破壊された首里城は1992年に正殿などが復元された。今の30代といえば、新たな「沖縄の顔」として誕生した直後の首里城を見て育ち、安室奈美恵さんやMONGOL800、朝ドラ「ちゅらさん」などで巻き起こった沖縄ブームの中で成長した世代。ミュージシャンのアラカキヒロコさん(37)とサキマジュンさん(35)、与那国島在住の與那覇有羽さん(34)、まちづくりファシリテーターの石垣綾音さん(30)の4人が集い、首里城の価値や再建への道しるべについて語り合った。

(取材=デジタル編集担当・大城周子、撮影=大城直也)


守礼門の前に立つ(左から)サキマジュンさん、與那覇有羽さん、石垣綾音さん、アラカキヒロコさん=2020年10月22日


アラカキヒロコ 那覇市出身。12年の東京生活を経て2017年に帰郷。音楽家として時間、生命、弥勒世果報を軸に曲を紡ぐ。首里まちづくり研究会事務局次長。

サキマジュン 宜野湾市出身。小4のとき、父親が米軍普天間飛行場内にあった先祖の土地を取り戻して建てた佐喜眞美術館の開館に合わせて沖縄に移り住んだ。

與那覇有羽(よなは・ゆうう) 与那国島出身。南風原高校、沖縄県立芸術大で歌三線を学んだ。民具職人。

石垣綾音(いしがき・あやね) 那覇市出身。琉球大学、ハワイ留学を経て、ファシリテーションを学んだ経験を生かして都市計画やまちづくりに携わる。



説明不要な歴史の証人

 4人が集まった日は、周囲の音をかき消すような激しい雨が首里城跡に打ちつけていた。観光客もまばらな中、それぞれに思いを巡らせながら首里城公園を歩いた後、じっくり互いの考えを重ね合った。


(左から)アラカキヒロコさん、サキマジュンさん、石垣綾音さん、與那覇有羽さん

 アラカキ 首里に生まれ育ち、小学校が首里城のすぐそばにありました。授業で首里城のことについて調べたり、整備された公園周辺は遊び場だったりしました。あまりに身近で、首里城は自分を形づくるものとして内面化していったという感じです。「立派なお城が我がまちにある」という感覚はありました。負の歴史もあるので、いろいろ考えないといけないなと思いながらも、首里城が自分の暮らす地域にあるということを肯定的に捉えていました。1945年生まれの母は沖縄戦で焼けて何もない時代に育っているので、首里城があることや沖縄に生まれたことを誇らしく思っているのがうらやましいと言っていました。

 サキマ 大学で首里城研修というのがあって、御嶽(うたき)とかそれぞれの門の意味などに触れてすごく興味を引かれたことを覚えています。県外や韓国・台湾から知り合いが来ると案内しました。ただ、グスク(城)は県内にたくさんある中で首里城だけがすごくきれいに整備されていて、ちゅらさんブームの後は観光客も多くて。どこかで「これじゃないな」っていう気持ちもありました。


正殿跡を見つめる(左から)サキマさん、與那覇さん、石垣さん、アラカキさん=2020年10月22日

 石垣 みなさんが首里城を案内するときどういう思いだったか興味があります。私は大学以来、知り合いが沖縄へ来ると案内する場所の一つでした。首里城に行くと琉球王国の歴史を説明しやすい。「万国津梁の鐘」を見せたり、儀式の模型を見せたりしながら。歴史を伝えるために「使わせてもらう」という感覚。サキマさんの言う「これじゃない感」は、人が押し寄せてテーマパーク的に扱われている状態に対する違和感なのではと思いました。

 サキマ そうですね。比べてもしょうがないけど、奈良や京都へ行くと、歴史的な建物ってすごく雰囲気がある。首里城も、琉球時代の雰囲気や美意識をより感じられたらいいのにと思いながら案内していたかもしれない。でも「これが沖縄ですよ」って打ち出せるコンセプトの一つなのは確か。戦跡や米軍基地も併せて案内して、万国津梁と、沖縄戦があっての平和主義、ひっくるめて現代沖縄の思想ですよってそんな感じの説明はしていましたね。

 與那覇 南風原高校の郷土文化コースに通って、郷土芸能部でもあった。沖縄で音楽を扱ったり演じたりするという立場から見たとき、芸能文化における首里城の役割というものもあると思います。沖縄の文化芸能を大事にしたいと思うと、首里城の存在は大きい。


正と負「両方見せて」


 政治や外交、文化の中心となった琉球王府の栄華は、周縁の犠牲や搾取により成り立っていた側面がある。宮古島や八重山諸島に「人頭税(にんとうぜい)」を課すなどした歴史から、首里城を「沖縄の象徴」と呼ぶことに抵抗を感じる人もいる。国は2026年までに正殿の再建を目指す工程表をまとめた。再建工事が着々と進む中、4人は何を思うのか。


再建工事が進められる正殿跡=2020年10月18日

 與那覇 与那国などの八重山や、宮古の人から首里城を見たとき、歴史的に複雑な心境はある。だけど、僕は物をつくる人。燃えたときに正直に思ったのは「再建しないといけない」ということ。島のご先祖様たちが苦労して納めた税金を基盤にした城が「燃えてなくなったさー」ではつらいというか。

 アラカキ 首里城の地下には(沖縄戦時に構築された日本軍第32軍の)司令部壕という重要な戦跡もあります。いま、司令部壕公開の動きがあるのはよかったと思う。正の部分と負の部分を両方見せることで説得力が増す。再建に向けて、近現代の沖縄戦に関連することや1700年代の王朝時代、人頭税などを含めた歴史的な経緯をいろんな視点から議論できれば、世界中の人にとってより付加価値の高い場所になると思う。

 與那覇 ただ人が集まる観光地の建物にしたら意味がない。人材育成や保存、管理方法まできちんとやらないと。「燃えた意味」という問いがあるとしたら、そこまでやらないと問いに答えられない。(国の再建計画の)6年でどこまでできるのかな。物づくりには時間をかけることがとっても大事。


首里城地下にある第32軍司令部壕の第5坑道内部=2015年撮影

 石垣 すぐに再建を、という流れには私も違和感があります。焦らなくてもいいから、今こそ歴史に目を向ける機会にしたい。龍柱の向きにしろ、議論になる裏にはさまざまな思いがあるはず。分かり合うための議論に時間をとってほしい。その中で、八重山などの人たちの思いや歴史も包括して、首里城をどのように位置づけるのかなど見せ方も含めてきちんと議論しないといけないと思う。

 アラカキ 時間をかける大切さは私も本当にそう思います。(県が発表した)「首里城復興基本方針」は押さえるところは押さえているけど、今年度末に計画をとりまとめるという速さで進んでいる。首里まちづくり研究会では急ピッチでシンポジウムやワークショップを開催して、地元の声を県に提言するサポートをした。でも、世界中に首里城のことを考えている人がいる。「万国津梁」という沖縄らしい概念に親和性のある存在として再建するには、もっと時間をかけるべきだと思う。

 與那覇 物づくりにおいて時間をかけるというのは、悠長にやるという意味ではなくて、絶えず努力をして試してという時間が必要だということ。漆芸に使われる螺鈿(らでん)を見ても、沖縄でしか出せない色や技術がある。沖縄らしさって何なのかを考えて、職人を育てることも含め時間をかけないとできない。


共有した「喪失感」の意味


 首里城焼失には多くの人が胸を痛め、これまで味わったことのない「喪失感」を抱いた。特別な思い出があるわけでも、普段から慣れ親しんでいたわけでもない人もだ。沖縄県民が感情を揺さぶられたのはどうしてなのか。


龍潭から焼失した首里城を見つめる人たち=2019年10月31日

 サキマ 僕の場合は、燃えている首里城が今の沖縄に重なったんだと思います。そして沖縄の文化を失っていく自分とも。しまくとぅばを話せる人がどんどん少なくなっていて、沖縄特有の雰囲気もなくなってきている。アイデンティティーが薄まっていくというか。辺野古の埋め立てもそうで、沖縄にはきれいな海がずっとあると思っていたけどそうじゃない。基地に賛成か反対かに関わらず不安定な感覚があると思う。そういうものが重なったのかなと思います。

 石垣 首里城があることで安心していた部分はあるかもしれない。私たちが頑張らなくても琉球の歴史を首里城が語ってくれるから。焼失したことによって、甘えていちゃいけないと思ったし、「本当に大事にしないといけないことは何?」と問われた気がします。


正殿などが焼失した首里城=11月5日(小型無人機で撮影)

 アラカキ 私自身の「喪失感」には二つあると思っています。一つは単純に地元の慣れ親しんだ場所がなくなったショック。もう一つは沖縄の文化を代弁してくれる存在を失ったことへの喪失感。東京で12年暮らしたことも影響していると思います。私がいくら「沖縄は本州とは違う歴史がある」と言ってもぴんとこないことが、朱漆の城を見ると「言っていたことが分かるかも。全然違うね」と一瞬で納得してくれる。日本の文化の文脈の中に沖縄があるのではなく、地域や島ごとにグラデーションの文化がある。そこで育まれ、続いていってほしい文化がある。それを説明しづらくなると思いました。「沖縄のシンボル」という表現は少し乱暴だと思いますが、沖縄の一端を説明する象徴的なものではあったと思います。

 與那覇 沖縄には文字として残されていないものがたくさんある。精神的な面、というと曖昧に聞こえるかもしれないけど…。精神的な面を共有していないと協力するまでにすごく説得が必要になる。立場が違っても、沖縄の人がどう思っているのかをそれぞれが考え、そして自分自身に問い直す機会が必要だと思う。


首里城について語る(左から)サキマさん、與那覇さん、アラカキさん、石垣さん=10月22日、那覇市首里のTEPPAN BAR AO TO BLUE(あおとぶるー)

 石垣 興味があったり関わりを感じたりしていても、勉強会やワークショップはハードルが高いという人もいる。知識がないと関わりにくいという空気がある場合もあり、もったいない。首里城が焼失したときに悲しみや喪失感を表した人を多く見た。その一人一人の思いをくみ取ることが大事だと思う。「その感情が湧いたということは、あなたにとって首里城はどんな意味を持っていたんですかね?」と。上の世代が感じていた首里城への違和感のギャップも埋めながら。まずは、それぞれのリアリティーから掘り下げて話をすることだと思います。

 アラカキ 琉球王国は音楽やエンターテインメントを外交の手段にするというまれな在り方をした。ファジー(不確か)なものを外交の中核に据えるというのは、沖縄だからこそ獲得していった精神構造だと思う。そういうことを今だからこそシェアして、下の世代が誇りに思えるものを残したいです。周囲に自慢するということではなく、「自分が支えられている」という思いを持てる存在に首里城がなるといいなと思います。




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