社会

守礼門の「アムラー」に憧れた40代 私たちの未来は…再建とともに 【WEB限定】



 首里城から守礼門を抜けて徒歩2分、城のお膝元にある沖縄県立首里高校。創立140年の歴史を持つ高校だ。生徒たちは観光客が行き交う観光名所のすぐ横で部活や勉学に励む。卒業生にとっては、首里城は青春の記憶を呼び起こす存在でもある。

 同校で高校時代を過ごした記者が、ともに40代となった首里高OGたちに問い掛けてみた。

 首里城焼失をどう受け止め、1年たった今どんな思いでいるのか。

(取材=デジタル編集担当・慶田城七瀬

撮影=大城直也)


守礼門前に立つ(左から)高良佳代子さん、比嘉由香さん、仲座歩美さん=2020年10月17日


仲座歩美さん(42)=自営業、首里高出身。アパート経営や管理を営み4人の子を持つ。

比嘉由香さん(42)=会社員、首里高出身。県外へ大学進学、就職を経て沖縄へUターン。

高良佳代子さん(41)=首里高出身、琉球サンバユニット「宮城姉妹」の姉。



城下での女子高生時代

 沖縄の本土復帰20年を記念して首里城が復元された1992年は、沖縄が生んだスター、安室奈美恵さんがデビューした年でもある。彼女のファッションをまねる「アムラー」がちまたにあふれ、「文武両道」をうたう首里高校の女子生徒もこぞってルーズソックスをはいた。


首里高校の正門前で高校時代を振り返る(左から)高良さん、仲座さん、比嘉さん

 仲座 高校時代はハンドボール部に所属していて、放課後は毎日首里城の周辺を走っていました。首里城裏の「赤マルソウ通り」の坂が本当にきつかった。友だちと城壁のところでおしゃべりしたり、首里城が当たり前のように隣にある青春を過ごしました。首里城は庭みたいな感覚。観光施設というイメージはなくて、高校時代も卒業後も(正殿など)内部を見学するということがなかったですね。

 比嘉 小学生の頃から首里に住んでいて、祖父の家も首里城近くにありました。高校時代は首里城が通学路で、首里城前の林を通り抜けて近道していました。考えごとをしながら歩くのにとても良い場所でした。大学進学で上京することが決まってからは、沖縄のことを一つでも知っておこうと思い、1人で正殿を見に行った覚えがあります。その後は、東京でお世話になった方や友人が沖縄に来るというときには必ず案内していました。

 高良 高校時代は安室ちゃんが人気になった時期で、「渋谷系」の高校生に憧れていました。東京から修学旅行でやって来る女子高生を見たくて、放課後に守礼門まで出かけた。首里城が近くにあったおかげでミーハーできました(笑)。

 仲座、比嘉 首里城に向かう修学旅行生が教室のベランダから見えたよね。クラスの男子たちが声を掛けていたのを覚えている。


私たちの宝が失われた


 琉球王国の歴史を伝える場所が日常にある青春時代を過ごした3人。大学進学や就職、結婚などそれぞれの道を歩む中で、首里城の存在を特別に意識することはないままだった。だが、あの火災で心が大きく揺さぶられた。


(左から)仲座歩美さん、比嘉由香さん、高良佳代子さん

 仲座 自宅にいて、夜中に鳴り響く消防車のサイレンの音を聞いて飛び起きました。防災無線なのか、首里城の火災発生を伝えるアナウンスも聞こえました。これは普通じゃないと分かった。テレビのニュースで首里城が燃えている映像を目にしたが、現実とは思えなかった。気づいたら涙も流れていた。正殿が燃えて崩れて落ちていく映像は、学生時代の記憶や思いもかき消されていくように思えて、映画のスローモーションを見ているようでした。

 比嘉 朝、テレビをつけたら首里城が燃えていた。がく然としました。あまりに衝撃で、燃えているのが首里城なんだと認識するまでに時間がかかった。SNSで友人たちがシェアしているのをたくさん目にして「本当なんだ」と。

 高良 ニュースで知りましたが、リアルとは思えなかった。住んでいるマンションの高台から、真っ黒な煙が首里城の方向から上がっているのが見えました。復元には長年かかったと聞いていたので、職人の手仕事が一瞬にして消えてしまったことにがく然としました。私は昔から工芸など職人の手仕事が好きで、今はサンバの衣装も手作りしている。職人が長い時間をかけて復元したものが…と思うと言葉を失いました。沖縄の財産を失ったんだ、と思いました。


「直視できない」「しょうがない」の声も


模型を見ながら首里城の思い出を振り返る(左から)高良さん、比嘉さん、仲座さん

 2000年に世界遺産に登録される前後、首里城の周辺整備が進んだ。90年代半ばを首里城のふもとで過ごした首里高卒業生には、劇的な変化に写った。時代の変遷を知る40代に今回の焼失について話を聞きたいと声を掛ける中で「まだショックで直視できない」という人もいた。取材に応じた3人の周囲はどうだったのか。そして再建に向けた動きが急速に進む中で、自身の思いはどう変化したのか。

 高良 今年1月に同窓会があったんです。焼失から2カ月後だったから、やっぱり話題にはなりました。ただ、「なくなったものはしょうがないよね」と結構あっさりしている人が多かった気がします。

 仲座 首里城のことはそれほど話題にならない。年齢もあるのかな。40代は多忙な時期だからなのか。私も今日やっと同級生と首里城について話ができました。

 比嘉 首里高生にとって身近な場所だから、直視できない人もいるかもしれないですね。私の周りは「悲しいけどこれから頑張ろう」という意見が多かったです。


消火活動の様子=2019年10月31日午前9時23分

 高良 やっぱり今もショックだし、なんで焼けてしまったのかなという思いはあります。でも、沖縄はたくさんの人に支えられている県で、再建に向けて募金もたくさん集まっているし、前向きにならざるを得ないというところもある。過去に4回も焼失したことを今回初めて知った人もいれば、コロナ禍で先が見えない中で、再建に向けた動きに勇気づけられる人もいる。私自身、再建には長い時間かかると思っていたけど40代のうちに見られそうだと分かって勇気が出ました。新型コロナの影響で私たち「宮城姉妹」の仕事も打撃を受けていますが、頑張らなきゃと思えました。

 仲座 なぜ焼けてしまったのか、というところはまだ引っかかっています。焼失規模が大きすぎるので。焼失当時はうまく言葉にできなかったけれど、なぜショックだったのかを今考えると、焼失で全てが失われてしまったと思ったのかもしれません。でも、もう首里城はない。前を向くしかない。募金もすごい勢いで集まって、みんなに支えてもらっている県だと思う。


再建に描く希望


 首里城の火災をきっかけに、3人は沖縄や自身の将来を考えるようになったという。不惑を過ぎた今、再建にたくす希望とは。


補修作業が行われる首里城の大龍柱=2020年10月23日

 比嘉 再建されることが明らかになっていることは救いです。首里城がなくなった悲しみから、少しずつ「再建された頃に自分はこうありたい」と将来像を考えるようになった。成長した自分を首里城に見せたい。首里城の再建とともに私たちも頑張りたい、いい未来を築いていきたい。沖縄が今以上に暮らしやすくなり、平和で、笑顔があふれている世の中であってほしい。そしてその中で子や孫に首里城を見せてあげたいと考えるようになりました。

 高良 再建したら多くの県民に足を運んでほしいと思います。それが県民にできることだと思う。そして今度は消火設備や体制もしっかり整えてほしいと願っています。

 仲座 これまでは子どもたちと首里城の話をすることはほとんどなかったけど、今度再建されたときには家族みんなで見に行きたいと思っています。首里城は青春の思い出の場所だったのに、内側までは見学することなく、あまり深く知らないまま大人になってしまった。焼失した時も子どもたちに何も伝えることができなかった。だから、今度は県民が誇りに思える場所として伝えられるようにしたいです。


 比嘉 正殿など首里城の内側を訪れたことがないという県民は大勢いると思います。次に生まれ変わる首里城は「自分たちの首里城」だと感じてもらいたいので、ぜひ多くの人に訪れてほしいです。かつての活気が戻るまでが「再建」だと思う。大勢の人の思いが詰まった首里城は、焼失前より大きな存在になると思います。私たちが高校時代に首里城で思い出をつくったように、これから訪れる人にもたくさんの思い出をつくってほしいです。


首里城再建へそれぞれの思いを語る(左から)比嘉さん、仲座さん、高良さん

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