社大結党70年 低迷打開へ若者照準「フットワーク軽い組織に」


社会
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結党70年を迎え、今後の活動方針などについて語る社大党の高良鉄美委員長(右)と平良識子書記長=31日、県庁記者クラブ

 沖縄社会大衆党(社大党、委員長・高良鉄美参院議員)は10月31日で結党70年を迎えた。いち早く日本復帰運動を開始した「復帰政党」として主席公選、立法院議員選、首長選で力を発揮。復帰後は中央政党との系列化を拒み、「土着」の地域政党として独自の歩みを続けてきた。9月末に第13代委員長に就任した高良氏は同日、「日本国憲法の精神を堅持し、平和で民主的な真の地方自治の確立により、豊かな沖縄の建設を図ることを目指す」とした結党70年の談話を発表した。

 革新共闘の要役を担うなど沖縄の戦後政治をリードしてきた社大党だが、近年は党員・党友の高齢化に加え、地方議員の減少に伴う財政基盤の縮小など党勢の衰えに直面する。

 県政記者クラブで会見した高良委員長は、低迷が続く党勢の拡大に向けて「社大党が若者の受け皿になれるよう勉強会、研修会などを広くやっていきたい」と述べ、次世代を照準にした取り組みを強める考えを示した。さらに、「沖縄の過去を掘り起こしながら未来を語りたい。財政面で課題を抱えるが、コンパクトでフットワークの軽い組織に変え、次の10年を見据えて行動していく」と語った。

 社大党の結党は米国統治下にあった1950年10月31日。当時の沖縄群島政府知事・平良辰雄氏を初代委員長に、兼次佐一書記長、西銘順治青年部長など、戦後の沖縄政治を担っていく人材を擁した。復帰後も76年の県知事選で委員長の平良幸市氏が当選し、県議会で与党第一党を占めるなど革新勢力の中心として黄金時代を築いた。

 しかし、現在の党所属議員は、国会議員の高良氏に県議、市町村議員を含めて9人にとどまる。10年前の結党60年からさらに5人減少した。今年6月の県議選では、委員長だった大城一馬氏が落選するなど厳しい結果を突きつけられた。

 会見で平良識子書記長は「社大党は労組などの支持母体がなく、議員政党としてやってきた。いかに議員を市町村で増やしていくかが党勢拡大の鍵を握る」と強調した。