首里城地下にあった32軍壕の史実を後世に 北谷町で平和ガイドが学習会


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「多くの人に第32軍壕で起こったことを知ってほしい」と訴える講師の下郡みず恵さん=北谷町の上勢公民館

 【北谷】首里城地下にあった旧日本軍第32軍司令部壕の公開を求める声が高まっていることを受け、沖縄市平和ガイドネットワークはこのほど、北谷町の上勢公民館で同司令部壕についての学習会を開いた。講師で「第32軍壕の保存・公開する会」の事務局員の下郡みず恵さんは「この場所でどんなことが起きたかを知らせるためにも残していかないといけない」と訴えた。

 第32軍司令部壕は県が当初「安全面から公開は困難」としてきたが、公開を求める世論を受け、有識者とともに公開を検討している。

 下郡さんは、ことし11年ぶりに内部撮影された壕内の様子と第32軍牛島満司令官の孫、牛島貞満さんが1997年に壕内に入った時の映像を見比べて「保存する努力がされているのもあって、そこまで変化(劣化)した様子はない気がした」と強調した。

 また敗戦が濃厚になった沖縄戦下で、旧日本軍が書いた日記を紹介。「『多くの人たちは軍人と一緒に死んでもらってもよいのか。戦禍が本土に及んだ場合の前例となる』と悩むが、当時の雰囲気はみんなと違うことを言ってはいけないという状況で、今とは価値観が大きく異なっていただろう」と推測した。

 会を企画した沖縄市平和ガイドネットワークの森根昇さんは「32軍壕が沖縄の宝である首里城の地下にあったことを、当たり前のように受け止めてしまっているが、まずは怒りを持ち続けることを忘れてはいけない。どういう役割をしたのか、学び続けたい」と語った。