琉球語表現 組踊に結実 大城作品、後進に可能性開く 山里勝己<戦後沖縄文学の軌跡―大城立裕を語る>3


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戯曲「カクテル・パーティー」上演の際、観客の求めに応じ、本にサインする大城立裕さん(左)。手前中央は、ハワイ移民の県系2世で、米軍通訳兵として沖縄戦も体験した比嘉武二郎さん=2011年10月、米ハワイ州のハワイ沖縄センター

 1975年に琉大英文科で教え始めたとき、恩師の米須興文先生に大城立裕先生に会わないかと誘われた。米須先生は、大城先生が野嵩高校で国語教師として勤務していたときの教え子で、お二人は師弟関係にあった。だから、米須先生が沖縄初の芥川賞作家を「大城先生」とお呼びになられるので、私も「大城先生」とお呼びするようになった。

「どろろん会」

 大城先生は、孤高の作家であるというイメージが強いが、じつは後輩に対してこまやかな配慮をされる方であった。70年代後半から1980年まで、又吉栄喜さんや高良勉さんたちと、琉大の研究室で月に一度、土曜の午後に勉強会をした。夕方になると、汀良町の大城先生のご自宅まで歩いて行き、沖縄の文学や文化や歴史について、あれこれとユンタクをした。私たちはこの集まりを「どろろん会」と呼んだ。短編「亀甲墓」で轟(とどろ)く艦砲射撃の「どろろん」という音にちなんだ名前である。

 「どろろん会」でしばしば話題になったのは、「方言」を作品でどう表現するかということであった。「亀甲墓」は、「実験方言」の文体で書かれた作品であり、表現媒体としての標準日本語と琉球語の課題に取り組んだ先駆的な作品である。

 この議論に米須先生が加わると、アイルランドと沖縄の比較に話題が広がった。米須先生は、ウィリアム・B・イェイツらの「アイルランド文芸復興」運動に学ぶことが多くあると言われた。つまり、アングロ・アイリッシュの表現者たちがゲール語ではなく英語で作品を書くことを選択したように、沖縄の小説家や詩人は、標準日本語で沖縄の文化的アイデンティティーを表現する方向にいくのではないかと話された。この頃の大城作品の多くが標準日本語を基本とし、沖縄のアイデンティティーを模索し表現するものであった。

母語喪失の危機

 しかしながら、21世紀になると、大城立裕は20編余の新作組踊を発表し、琉球語の韻律の美しさや言葉の弾性(レジリエンス)を観客や読者に示した。2013年には、「聞得大君誕生」が坂東玉三郎主演で上演された。「沖縄への引揚船のなかで私の頭を満たした喜びがあった。『これからは大っぴらに方言をしゃべることができる!』」と『光源を求めて』で書いておられるが、母語を自由に話すことができる「喜び」は、母語喪失の危機を意識しつつ、半世紀の時間を経て新作組踊に結実したと言えるのではないか。大城立裕は小説家であり、戯曲家であり、サンパチロクの韻律で琉球/沖縄をうたう詩人でもあった。

 1995年、スミソニアン博物館のエノラ・ゲイの展示と原爆投下に関する企画が大きな議論に発展した。このニュースに接し、大城立裕は戯曲「カクテル・パーティー」を書いた。2011年にハワイ大学英文科のフランク・スチュワート教授と共編で沖縄文学アンソロジーをハワイ大出版局から刊行することになり、その中に拙訳の戯曲版と新作組踊「海の天境」を入れた。(このアンソロジーは世界の千近い大学でオンラインでも公開され、数万人の読者が読めるようになっている)

 アンソロジー刊行後、「カクテル・パーティー」の普遍性を高く評価したスチュワートさんが、作者を招聘(しょうへい)しハワイ大学主催で朗読劇として上演することを企画、2011年10月、ハワイ沖縄文化センターとハワイ大学オービスホールで上演が実現した。マノア・リーダーズ・アンサンブル・シアターによる朗読劇が上演された時は、満席の会場は張りつめた空気にみちていた。

山里 勝己氏

 

遺言のつもりで

 真珠湾のあるホノルルで、戯曲版「カクテル・パーティー」をアメリカの観客にぶつけるのは勇気のいることでもあった。しかし、スチュワートさんは、「倫理的な想像力に覚醒し、それを大事にすることで、私たちは誰かの立場に我が身をおくことができる」とし、このような主題を有し対話を続けることをアピールする戯曲「カクテル・パーティー」を、「書かれた場所を超えて読者を揺さぶる本物の文学」であると高く評価した。ホノルル公演は、沖縄文学が独自性を有する世界文学として評価され、広く認識される機会となった。(琉球/沖縄文学の代表的な作品を収めたアンソロジーLiving Spirit刊行後、アメリカ国会図書館から招聘され、同図書館でスチュワートさんと私の沖縄文学に関する朗読会と対談が行われた)。

 大城先生はじつに多くの仕事を残された。今年の3月に最後の単行本『焼け跡の高校教師』が出版された。体調が良くない中、2月には名桜大学が主催した国際シンポジウム「琉球諸語と文化の未来」に「遺言を残すつもりで」登壇された。

 いま、沖縄の文化や文学は琉球語の行く末も含めて大きな課題に直面している。大城立裕が切り開いてきた文学は沖縄で文学を志す人たちや芸術文化を担う人たちにさまざまな可能性をさし示し、これからも読者を鼓舞し続けるだろう。

 (名桜大学大学院教授)


 やまざと・かつのり 1949年本部町生まれ。カリフォルニア大学博士課程修了(Ph.D. アメリカ文学)。前名桜大学学長。著書に『場所を生きる―ゲーリー・スナイダーの世界』『琉大物語』など。