差別構造示す「琉球処分」 告発する表現で浸透 オーガニックゆうき<戦後沖縄文学の軌跡―大城立裕を語る>5


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 大城立裕先生に最後に直接お会いしたのは、2019年4月。拙著『入れ子の水は月に轢(ひ)かれ』が第5回沖縄書店大賞の小説部門・準大賞を受賞した日だった。

 授賞式のあとに同賞大賞に輝いた『宝島』の著者である真藤順丈さんと一緒にご自宅を訪ねた。

 その日も厳しいことを言われたのだが、大城先生との思い出は叱られたことが真っ先に浮かぶ。「ペンネームを本名にしなさい」、「遠慮せずに話しなさい」、「学業にまず専念しなさい」などなど。

 知の巨人を前にして遠慮せずに話すことなんてとても出来なかった。質問したいことは実は山程あったのだけれど。

後悔

名桜大主催の「国際シンポジウム琉球諸語と文化の未来」で登壇し、ウチナーグチの継承について意見を述べる大城立裕さん(左から2人目)=2020年2月、那覇市泉崎の琉球新報ホール

 50年に琉球大学に進学、文芸クラブ結成準備のため、既に新聞社の懸賞で作家デビューしていた「老翁記」の城龍吉(大城立裕)、「帰郷」の冬山晃(城間宗敏)を招いて文学修行の話を聞く集いを持った。51年の秋だったと思う。

 中心になったのは、奄美出身の当田真延(のちに島尾敏雄奄美図書館長の下で副館長を務める)だったが、結成をみる前に奄美に引き揚げたため計画は流れてしまった。講義が終わった夕刻の首里城跡、空き教室での出会いであった。

 この後、全く新しいメンバーで文芸クラブを立ち上げ、雑誌「琉大文学」を創刊する(53年7月)。原龍次(松原清吉)、新井晄(新川明)が編集責任者になり、後年、文筆で活躍する川満信一、岡本恵徳、具志堅康子、喜舎場順らが顔をそろえ、中今信、新屋敷幸繁、大城立裕の3氏に創刊に寄せる言葉を頂いたが、世代の近い大城立裕の一文「文学的思春期に」の率直で誠実な言葉に励まされた。「社会を、民族を、政治を、もっと文学に―と評論家はいう。そうなのだ、と私も思う。もちろん、何かのためにする傾向的作家やグループの行き方を私は肯定しない。文学は手段ではないから。宣伝道具でもないから」

 ここに終生変わることのない立ち位置が示されているが、本誌の「編集後記」で同じ趣旨のことを書いており、私たちの間に少しの違和感もなかった。それがやがて、決定的な対立を迎えることになる。

発火点

 亡くなった今、聞けなくて後悔している質問がある――先生、「琉球処分」という言葉は流行語になってはいけないのでしょうか。

 巨匠にあえて挑戦的な質問を投げかけたかったのは理由がある。自分が表現した言葉が流行語となったとき、作家はどこまでその言葉の本来の意味を繰り返し伝えるべきなのかという疑問が私にあるからだ。

 『小説琉球処分』という大著はその内容もさることながら、「琉球処分」という言葉を世に浸透させた偉業を果たしている。「本土復帰」から、普天間基地移設、辺野古の埋め立てという時代の流れのなかで、第二の、第三の、平成の「琉球処分」という言葉が数十年に渡って飛び交っている。私も他誌のインタビューで菅政権発足時に「令和の琉球処分」という言葉を用いて政権批判をした。

 「琉球処分」が流行語のように扱われることで、廃藩置県時代という特定の歴史認識が軽んじられるという懸念を大城先生は繰り返し訴えていた。私が強烈に覚えているのは、15年・辺野古埋め立て訴訟の際、当時は翁長雄志県知事による意見陳述全文が公開された時だ。陳述文に「琉球処分」という言葉が表記されたのを受けて、大城先生はこの言葉を使わないようにと主張した。加えて「琉球処分」という言葉は琉球を差別する日本政府側が生み出した言葉であり、被差別側が積極的に使うべきではないとも言っていた。

差別構造

 大城先生の指摘は正しい。「琉球処分」というただでさえ重くインパクトのある言葉を、本来の文脈から離してポップに扱ってしまうことの危険性を私はもっと自戒しなければならないと思う。沖縄が孕(はら)むさまざまな問題を「琉球処分」という言葉で並列に扱ってしまってはいけない。

 けれど言葉は良くも悪くも独り歩きをする。「琉球処分」という言葉がそうであるように、本来の文脈から発展して「沖縄差別を許さない」という意味合いを含んだ言葉として使われるようになっている。そこには、作家・大城立裕の手を離れて「琉球処分」という言葉が沖縄の人々の言葉として使われるようになったという現象が生まれている。

 少なくとも大城先生は、普天間基地移設問題において、日本政府の沖縄に対する非情さが蘇ったということは明言していた。今日こそ「第二の琉球処分」が起こっている時代であり、多くの県民がそのことを理解していると。

 今日「琉球処分」という言葉が一般的に使われるようになったのは、沖縄県民をはじめとして多くの人々が「沖縄と本土の差別構造が連綿として存在しつづけている」という事実を告発したいからだと私は思う。そしてこの告発を端的に表現できる言葉として、「琉球処分」という表現がその強烈さゆえ多用されるのだろう。人々の思いと呼応して、「琉球処分」という言葉は『小説琉球処分』から飛び出し、作家・大城立裕の手からも飛び立っていく。自分の意図から離れてしまうかもしれない言葉を、大城先生は必死に引き戻そうとしていたのではないだろうか。

残した難題

 私個人としては、現代において沖縄と本土の差別構造の問題を風化させないためにも「琉球処分」がより一般的に使われても良いのではないかと感じる。同時に、作家は言葉を私物化してはならないとも思う。だからこそ、「琉球処分」という言葉が一般に浸透していることは大城立裕という作家と、その作品がもたらした本当に大きな功績だと思う。

 私はまだまだ作家として未熟であるし、大城先生からたくさんのことをもっともっと吸収したかった。いつか大城立裕に並ぶような作家になりたいなんて口が裂けても言えない。それでも沖縄人として、作家として、大城立裕が伝えたかった沖縄とは何だったのかを掴(つか)みたいと思っている。

 「琉球処分」とは何か。大城立裕は「琉球処分」という言葉を人々にどういう意味で使ってほしいと思っていたのか。決して簡単には紐解(ひもと)けない難題を私は大城立裕から突きつけられていると感じている。大作家が残したこの難題をずっと追い続けていきたい。

(オーガニックゆうき、作家)


オーガニックゆうき

 おーがにっくゆうき 1992年生まれ。浦添市出身。2018年「入れ子の水は月に轢かれ」(早川書房)が第8回アガサ・クリスティー賞を受賞、第5回沖縄書店大賞小説部門準大賞を受賞。京都大学法学部在学中、取材・執筆活動を続けている。