第32軍壕の整備・公開を 沖縄戦の実相解明に重要<首里城再建を考える・主体性回復への道>


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32軍壕の進入道で内部の説明をする牛島満司令官の孫・牛島貞満さん(右から2人目)=7月、那覇市の城西小学校

 2019年10月31日、ショッキングな首里城炎上を目の当たりにし、脳裏に浮かんだのは首里城正殿の落成式典だ。1992年その式典当日、私は沖縄県知事公室長として出席した。正殿の荘厳な美しさに魅せられながら琉球王国450年の歴史・文化の豊かさに深い感動と誇りを覚えた。と同時に正殿の場所には琉球大学本館があったことに思いをはせた。琉球大学は戦前戦後を通して沖縄に初めて設置された高等教育機関で、沖縄の人々の大きな喜びと誇りであった。そして戦後復興の新たな息吹を醸していた。学部学科の拡充、学生数の増加に伴い首里城跡を整地し、鉄筋校舎建設を進めていた。

東恩納寛惇氏の教示

 その矢先の1958年11月、歴史学者東恩納寛惇先生が帰郷し、琉球大学で講演された。先生は琉球王国の歴史・文化の豊かさ、その大事さを語りつつ、首里城跡を整地し、校舎建設を進めている琉球大学を厳しく諭しておられた。当時、私は琉球大学を卒業し、同大学に勤務した年で、新たな学問の府建設に熱い思いを寄せているときだったので、先生の強い口調に反発すら覚えたものである。ところが、のちのち先生の歴史・文化の大事さの教示は、私の人生の大きな教訓となった。

 その琉球大学が西原町に移転したので、92年に首里城正殿が再建され、2000年には首里城跡は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとしてユネスコ世界遺産に登録された。このような世界に誇れる地に建つ首里城正殿等の再建を強く願うものである。

司令部壕の保存要請

 首里城正殿の復元落成式で山中貞則元沖縄開発庁長官が祝辞の中で「首里城地下に第32軍司令部壕がなければ、首里城は破壊されなかったであろう」と語られたことは、アドリブだったとしても日本政府を代表していただけに、強烈な印象として残っている。

 1992年の首里城復元に伴い、戦中、鉄血勤皇隊員としてその司令部壕にもいた大田昌秀沖縄県知事は、首里城周辺整備も重点的に取り組んだ。その年の7月、「1フィート運動の会」代表が、第32軍司令部壕の復元・保存を訴える知事宛の要請書を持参し、知事公室長の私に直接要請した。この要請行動を受け、私は知事、職員とともに現場を視察することにした。「守礼の門」横の坑道から壕内に入ったが、約40メートル入ったところで、落盤があり、それ以上は進めなかった。

 その後、沖縄県では龍潭の浚渫(しゅんせつ)作業と引き続き、第32軍司令部壕の調査を進めていった。

壕調査管理の委託

 第32軍司令部壕については首里金城町の県立芸術大学施設近くの第5坑道から司令部壕本道への開通を試みるため、業者に委託して掘り進めた。掘り進むにつれて湧水量が増え、落盤の危険性があった。また、上部に建設のアパートの基礎部分に触れる危険性もあり、約90メートル掘り進んだところで工事を止めた。

 そのころ、大田県政は、1995年、戦後50周年記念事業として摩文仁の平和公園内に、全戦没者刻銘碑「平和の礎」の建設、「平和祈念資料館」の移築建設に着手し、多忙を極めていた。さらに「沖縄国際平和研究所」創設に向けて、海外の「平和研究所」の調査にも取り組んでいた。あわせて、97年に第32軍司令部壕保存・公開検討委員会を設置し、その報告書が知事に提出された。その間、司令部壕の管理を業者に委託していた。

 98年11月の知事選挙の結果、県政が代わり、第32軍司令部壕の整備は実施されていない。首里城焼失に伴う再建が発表されたとき、私はこれまで調査にかかわった以上のような経過を知るものとして、首里城再建と同時進行で第32軍司令部壕の整備保存・公開に取り組むべきだとの思いを強くした。

 聖域を有する首里城下の軍司令部地下壕は、沖縄戦で多くの犠牲を住民に強いた象徴的場所である。その観点からもその地下壕に平和の灯火をかざすべきである。遺骨や不発弾が残存している可能性もある。それらは国の責任において処理すべきである。悲惨な沖縄戦の実相解明を目指す上でも司令部壕の整備は極めて重要である。

世論の高まり

 「第32軍司令部壕の保存・公開を求める会」(瀬名波栄喜会長)では、沖縄県知事に第32軍司令部壕の保存・公開を強く要請した。いまや、第32軍司令部壕の保存・公開を求める世論は大きな盛り上がりをみせている。

 沖縄県では、第32軍司令部壕の実態解明にむけ、国内外の資料収集に乗り出すことを表明している。

 ところで、第32軍司令部壕の保存・公開の検討は、今回で3回目を数える。

 第1回目は、1960年代に那覇市が沖縄観光開発事業団に開発を委託した。同事業団が調査を実施したが、整備に多額の費用を要することが判明して、その開発を断念した経緯がある。第2回目は前述した1990年代の大田県政時代である。今回は、第3回目の取り組みとなる。

 現在のトンネル掘削技術を駆使すれば、整備の可能性は高いと確信している。

 首里城の再建とともに第32軍司令部壕の整備保存・公開を強く望むものである。平和の象徴首里城と負の遺産第32軍司令部壕から世界平和を広く発信したい。

高山 朝光

 高山朝光(たかやま・ちょうこう)
 1935年、本部町伊豆味生まれ。旧羽地村(現・名護市)出身。58年に琉球大卒業、62年にハワイ大学大学院留学。89年にNHK沖縄局副局長、92年に県知事公室長、94年に県政策調整監、96年に沖縄県信用保証協会長、97年に那覇市助役、2019年から沖縄平和の礎の会会長。20年から第32軍司令部壕の保存・公開を求める会副会長。


22日、那覇で公開討論会

 県民主体の首里城再建を求め、研究者らでつくる「首里城再興研究会」は、22日午後2時から午後5時まで那覇市おもろまちの県立博物館・美術館2階講堂で「首里城再興に関する公開討論会」を開く。

 国の「首里城復元に向けた技術検討委員会」委員長の高良倉吉琉球大名誉教授、同委員の安里進県立芸大名誉教授も登壇する。首里城正殿の大龍柱の向きや第32軍司令部壕の保存・公開、再建や文化財保存について議論する。西村貞雄琉球大学名誉教授、高山朝光元県知事公室長、友知政樹沖縄国際大教授も登壇する。後田多敦神奈川大准教授はオンラインで参加する。司会は前泊博盛沖国大教授。

 公開討論会の資料代は500円。先着70人限定で午後1時から会場入り口(2階)で整理券を配布する。

 討論会の模様はユーチューブでも動画配信する。次のQRコードからアクセスし視聴できる。アドレスはhttps://youtu.be/xE8CNaKgtIM