written by 滝本 匠
長く続く坂道の上にその建物は立っている。そこでは日夜、この国の針路が議論される。その主が誰になるのか、主が何を感じ、何を考え、何を決め、何を切り捨てるのか、国民の生活に直結していく。そこは首相官邸。
官邸は、財務省や外務省、総務省、文科省と東京・霞が関に集中する中央官庁群の頂点に立つ。文字通り、各省庁の建物から坂を上って、国会議事堂と並んで小高い丘の上に立っている。
正面玄関から入ると、吹き抜けのエントランスと呼ばれる空間が広がる。首相が登庁時にカメラに向かって手を挙げる光景や、新内閣発足で首相に呼ばれた閣僚たちが続々と入館してくる風景でおなじみだ。ここは官邸の3階に当たるフロアで、首相や官房長官と会談した首長や議員を記者が待ち受ける場所でもある。
この階から2階降りた一角に、さほど広くはない部屋がある。
首相官邸ホームページはこう説明する。「政府の方針や政策を国民によく理解してもらうには、新聞やテレビなどのメディアを通じて迅速に政府の考えを伝えていくことが大切です。記者会見室はその意味で、官邸と国民をつなぐ重要な『窓』の役割を果たしています」。「官邸と国民をつなぐ窓」とされる「記者会見室」だ。
駆けつけたときは「抽選終了」
「国民の皆さまの負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました。総理大臣の職を辞することといたします」
2020年8月28日の安倍晋三首相が退任を表明した会見。その言葉を私は首相官邸で聞いた。ただしそれは記者会見室ではなく、会見室と同じフロアの、少し離れた場所にある官邸記者クラブ「内閣記者会」の記者室のソファでだった。
新型コロナウイルス感染症で生活様式も変わったが、取材の現場も大きく様変わりしている。各省庁の会見室は記者の座る席の距離をとって「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」を確保するようにしている。首相官邸も例外ではなく、1階にある記者会見室は座席の間隔を空けるため、毎日定例の官房長官会見であっても数が限定されている。
コロナ禍前は首相会見ともなれば各報道機関の記者が会見室に詰めかけ、いすに座れなくても部屋の周囲に立ってでも、その場の空気を吸って、記憶に焼き付けようとしていたものだ。
それもこのコロナ禍では従来のようにはいかない。会見室に入れるのは内閣記者会の常勤幹事社のほか、抽選で選ばれた社の記者1人のみという仕組みが続いている。
会見の抽選は当日貼り出しで初めて〝告知〟される。安倍政権になって首相会見自体が開かれることは少なくなったが、会見が設定されたと聞いて官邸に行くと既に抽選は終了している。抽選にも参加できないまま、すぐそばで生の会見が行われているにもかかわらず、記者室のソファで会見室から流れてくる首相の音声だけを聞いているしかない。もちろん質問はできない。それならいっそテレビを見ている方がよっぽど音声もよく聞こえた。
菅義偉首相の就任会見時はなんとか抽選には参加できたものの、あえなく落選。フリー記者とネットメディア、外国人記者の枠は別に確保されているが、「地方紙」枠はない。
かつて首相官邸や国会内で移動する間に番記者が首相に直接質問できた。「ぶら下がり」と呼ぶそれが小泉政権時には昼夜2回の官邸での質疑応答になり、旧民主党政権の菅直人首相が震災対応を理由に無くした。
ぶら下がり会見とは別に、内閣記者会主催で当番制の幹事社が代表して質問するグループインタビューも続いてきた。首相がメディアを選んで個別インタビューに応じないことになっていたが、それをほごにしたのが安倍首相だった。積極的に「メディア選別」を図り、個別にメディアと時期も選んでインタビューに応じた。
菅内閣が誕生してからしばらくして、内閣記者会による首相へのグループインタビューがあった。2012年12月に旧民主党政権で野田佳彦首相が応じて以来、7年10カ月ぶりの開催だ。ちなみに筆者が所属している琉球新報社も「内閣記者会」に属しているが、常勤幹事社ではないため声は掛からない。
首相会見とは何なのだろうと思う。言いたい相手に、言いたいことだけを一方的に話す。それで終わりなら、録画放送でもすればいいだろう。
質問なくして情報は出ず
会見は「言葉のバトル」だと思って記者をしてきた。菅氏が官房長官時代の定例会見でも質問してきたが、木で鼻をくくったような返答でいなされることがほとんどで、その「闘い」に何勝できたのかは自信がない。だがこれだけは言える。
都合の悪いことは、突っ込んで聞かない限り、明るみに出ない。
質問するということは、なんらかの問題意識に基づいて、自身の立ち位置をさらした上で、相手の考えを問うことだと思う。その背中には県民、国民の存在を強く意識する。
質問者の問題意識自体が問われる局面も出てくる。実際、質問することで批判を浴びることもしばしばだ。そんな緊張感もはらみつつ、相手に言葉を突きつけていく。会見とはそういう真剣勝負なのだと思う。
自戒を込めつつ、今のメディアは果たして、そういう要求に応えられているだろうか。
官邸の住人は長く遠い坂の上で国民の声が聞こえているだろうか。「記者会見室」が「官邸と国民をつなぐ窓」というならば、その窓は本当に国民に開放されているのだろうか。
滝本 匠(たきもと・たくみ) 1973年大阪府生まれ。98年入社。大学ではギターの響板の研究などをしながら、探検部に入ってうろうろしてました。大学1回生で初めて来た八重山でカルチャーショックを受け、就職も沖縄を選びました。引退した父をみながら、自分らしく生きるとは何かを改めて考えています。
沖縄発・記者コラム 取材で出会った人との忘れられない体験、記事にならなかった出来事、今だから話せる裏話やニュースの深層……。沖縄に生き、沖縄の肉声に迫る記者たちがじっくりと書くコラム。日々のニュースでは伝えきれない「時代の手触り」を発信します。