名護市辺野古の新基地建設を巡る県と国の訴訟で、27日の那覇地裁判決は県が問い掛けた国土交通相裁決の中身を判断せず、訴えを入り口で退けた。国策に関する判断は避けるという、司法の消極的な姿勢をあらためて浮き彫りにした。(前森智香子)
県が司法の判断を求めていたのは、県の埋め立て承認撤回に対する、国の対抗策だった。沖縄防衛局は、本来は国民の権利救済のためにある行政不服審査制度を使い、審査請求を申し立てた。
それを受けて内閣の一員の国土交通相が撤回を取り消す裁決をした。防衛局の手法は「私人なりすまし」で、制度の乱用だとして多くの専門家が批判している。
県側にとって、今回の抗告訴訟が審理対象になるかなど、裁判の入り口から高いハードルがあることは織り込み済みだった。2002年の「宝塚パチンコ条例事件」の最高裁判決では、自治体が条例や規則に従わせるために訴訟は起こせないとしている。
それでも弁護団は「入り口を突破して中身で勝ちたい」として、県の訴えが02年最高裁判決の射程外で、裁判の対象になると主張してきた。提訴の適法性に加え、承認撤回の正当性や、国交相裁決の問題点などを細かく指摘。訴状は400ページを超えた。
一方、国側は中身の議論を避け続けた。「県の訴えは却下されるべきで、請求原因の認否は必要ない」とし、答弁書は30ページ足らずだった。議論は深まらないまま、わずか2回の弁論で結審した。
27日の判決では「裁判の対象にならない」として、県の訴えが退けられた。国側の意向に沿った判決が下されており、このような状況が続けば、国民の司法への期待はなくなる。