「浜に人がいたら死者が出ていた」地元の漁師が語る 4年前のオスプレイ墜落事故


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4年前にオスプレイが墜落した現場の近くで、当時の状況を説明する久志常春さん=9日、名護市安部

【名護】「もし浜に人がいたら巻き込まれていたかもしれない」。名護市安部で生まれ育った漁師の久志常春さん(72)はMV22オスプレイの墜落事故当日を振り返り、声を落とした。(喜屋武研伍)

【墜落の一報】機体は折れたが、米軍は「着水」と発表

 名護市役所を定年退職後、慣れ親しんでいた安部の海で漁師となった久志さん。墜落場所はアーラミーバイが卵を産みにくる水路があり、漁師が休憩する場所だった。事故後は現場で休憩することはなくなった。「何が流れているか分からないからね。あの場所で漁はしないよ」

 日本復帰前の1950年代。安部の浜で多くの米兵が野営をしているのをよく目撃した。当時は手に入らなかったお菓子を持っていた米兵に、子どもたちは近づき「ギブミーチョコレート」とねだった。その頃は浜に不時着した米軍機を何度も見たことがある。機体に異常があると「パタパタと、布が風でなびくような音がした」と振り返る。

 4年前の事故時は、米軍関係車両が浜のそばの道路を埋め、ヘリ2機が上空を旋回した。「また墜落したか」。幼少期の記憶がよみがえった。

 その日は大潮で、墜落時は満潮から数時間しかたっておらず、潮位は100センチ以上あった。「死者が出なかったのは潮がたまっていたからだ」。機体の破片が400メートル四方に飛んでいたことに触れ「時間が早くて浜に人がいたら、間違ったら死んでいたかもしれない」と眉間にしわを寄せた。

 魚がよく捕れた大浦湾では、新基地建設が進められている。「サンゴ礁には防波堤の役割がある。それを埋め立てると近隣集落は大きな被害を受けてしまう。そんな工事は絶対にうまくいかない」と語気を強めた。

 


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