古堅宗光さん(73)=うるま市=はその日、身の毛がよだつ思いで車を運転することになった。
深夜、出勤先へ向かっていたが、見慣れた街の光景は一変していた。空は赤く染まり、道路の中央では十数台の車が火柱を上げていた。
「何が起きたのか直感で分かった」
1970年の12月20日未明。日本復帰前の当時、沖縄では米軍関係者による事件事故が多発していた。米統治下にあったため、加害米兵の罪が問えず、県民の人権はないがしろにされていた。人々には不満がたまり、今にも爆発しそうだった。やがてコザ騒動が起きた。
「無意識下での意識の共有」。古堅さんは当時をそう振り返った。言葉にせずとも、みんなが抱いていた米軍への感情。燃える車を目の当たりにし、何が起きたのか直感で分かったのは当然だった。
「とうとうやった。革命が起きたぞ」
心の中でつぶやいた。毛は逆立ち、身は震えたが、恐怖心ではなかった。職場に到着すると、車を止めて騒動現場に戻った。周辺は大勢の住民であふれかえり、警察やMP(憲兵)も来ていた。地面にはガラス片や石が散らばり、その激しさを物語っていた。
古堅さんは「コザは戦後の沖縄が抱える矛盾を凝縮したような街だった」と強調する。そのコザで騒動が起きたのも、半ば必然だった。
騒動については誇りを持っているという。民主主義を一つ一つ勝ち取っていく沖縄の姿が象徴されているからだ。ウチナーンチュとしてのアイデンティティーを考える契機にもなった。
あの日から50年。当時と比べ街の様子は変わった。しかし、米軍関係の事件事故は今も相次ぎ発生している。コザ騒動について、単なる歴史の通過点で終わらせてはいけないと強く感じている。
「沖縄がたどってきた歴史をもう一度見つめ直すきっかけになれば」。古堅さんはそう願っている。
(砂川博範)