社会

反米と基地依存 沖縄の警察官が胸に刻んだ街の二面性 稲嶺勇さん



コザ騒動が起きた場所で当時を振り返る稲嶺勇さん=2020年11月30日、沖縄市

 1970年12月20日、コザ騒動が起こった。沖縄の人たちの人権が踏みにじられるような事件が相次ぎ、その不満が高まる中、米国人の車が次々と放火された。出動した琉球警察は476人。その中の1人が当時、普天間署(現宜野湾署)で刑事をしていた稲嶺勇さん(77)=沖縄市=だった。

 あの日、ビジネスセンター通り(現パークアベニュー通り)近くの自宅で寝ているところを、隣に住む母親に起こされた。「ゲート通りで指笛や大きな声が聞こえる」。上空にはヘリが飛び、ゲート通り付近から煙が上がり騒音が聞こえた。



1960年代のコザの街


 近所の黒電話を借り、普天間署に電話すると非常招集が命じられた。車を運転し胡屋十字路付近に近づくと、数百人の群衆が数台の車を燃やしていた。

 ひっくり返った車を避けつつ南下した。島袋三差路(現山里三差路)付近は、カービン銃を構えた米兵に向かって群衆が石を投げていた。「よく通れたなと思う。今考えると身震いがする」

 放火や公務執行妨害、器物損壊の容疑で約20人の逮捕者が出たが、最終的には一部は釈放となった。捜査は進展せず、真相解明に至らなかったことについては悔しさを感じた。「時代は時代にふさわしい事件事故を生む」。米兵に対し沖縄の人々の怒りが高まっていたことは事実で「その気持ちも分かる」と語る。



騒動当時の緊迫した様子を語る稲嶺勇さん=2020年11月30日


 騒動後、米軍は兵士らにコザの民間地への立ち入りを禁じた。その影響を大きく受けたのが、米兵ら相手の飲食店「Aサインバー」業者だった。基地への反発や不満がある反面、生活は基地に頼らざるを得ない矛盾があった。

 コザ騒動をきっかけに「あらゆる現象に二面性があることを強く意識するようになった」。その後の警察人生でも、その視点は稲嶺さんの心に刻まれていた。



(金良孝矢)


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