「何だかわからないうち涙が」コザ、県勢初の勝利 1984年<沖縄花園物語>


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第64回大会 1回戦 コザ―石巻(宮城) 圧倒的な強さを見せたコザ(緑ジャージー)=1984年12月28日、東大阪市の近鉄花園ラグビー場(稲嶺盛明氏提供)

 九州新人、九州総体で準優勝の実績を引っ提げ、その年のコザはこれまでの代表の中で最強と目されていた。「花園で初勝利を」との関係者の期待を背負い、1984年の第64回大会に3年連続出場を果たす。フォワード(FW)平均体重は77キロ、バックス(BK)の100メートル走平均は12秒。中でも県勢初の高校選抜で高校代表入りすることになる3年のWTB安村光滋の存在は別格だった。「ボールを持てばなんとかなる自信があった」(安村)。

 コザの俊足は開始直後から石巻を圧倒し、ほとんど敵陣でゲームを動かす。前半7分の敵陣22メートルライン内、左サイドのマイボールスクラムが起点になった。バックスのラインはやや深め。速い球出しでオープンに展開し、SO徳元晃からCTB蔵当康吉へ。蔵当がタックルを受けながらオフロードパスを出す。受けようと構えるCTB島袋弘人が右にやや開くと、その間に走り込んできたのは安村だった。

 既にトップスピード。中空のボールを懐へ。オープンに引きつけられた石巻バックスとFW防御の間に自然と一筋の道ができた。そこを安村が突いた。「本当はやったらだめだと言われたが、この時は自然と両腕を挙げてしまった」。ボールを高く掲げてインゴール中央に力強くボールをたたきつけた。コザ初の花園でのトライ。SO徳元は「ぎりぎりまで相手を引き寄せた蔵当が頑張った」。パスのタイミングと勢い、相手を引きつける間合いにダミーの精度とそれぞれ絶妙だった。安村の脚を生かすため用意してきたとっておきのサインプレー、その名も「スペシャル」が見事に決まった。

 安村はその後のコンバージョン、後半8分のペナルティーキック、さらには同25分に敵陣22メートルライン上のラックからの供給で2トライ目を決め、全15点を挙げた。2トライ目のコンバージョンをきれいに決めるとノーサイドの笛が鳴り響く。瞬間、ベンチで見守っていた監督の安座間良勝らは両手を挙げ歓喜した。

花園で県勢初白星を挙げたコザのメンバーら。2回戦では大分舞鶴に惜敗した=1984年12月30日、東大阪市の近鉄花園ラグビー場(安座間良勝氏提供)

 花園での県勢初勝利の瞬間である。第1グラウンドでの試合だった。キックオフ前に「やっとここまで来られた」と高ぶり涙をこらえる選手もいたが、勝利が決まると、感情を押しとどめることはできなかった。「何が何だか分からないうちに、自然と涙がこぼれていた」。安村の目も赤く染まった。石川時代と合わせ花園4度目で初白星の安座間は「やっと勝てました。子どもたちに感謝したい」。初出場の石川、次いで連続出場のコザOBの経験がこの年のコザフィフティーンの躍動につながった。沖縄のラグビーに新たな歴史が刻まれた瞬間だった。

(敬称略)
(上江洲真梨子)