人数ぎりぎり「自分がいないと」 初出場・宜野座が殊勲の白星 1992年<沖縄花園物語>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
宜野座―東海大工 前半11分、ゴール前へのパントからのこぼれ球を宜野座FW福本広明がゴール左へトライ=1992年12月28日、東大阪市の近鉄花園ラグビー場

 1992年の第72回大会はトライが5点となるルール変更が適用された。ここに初出場を果たしたのは宜野座だった。初戦の相手は東海大工(静岡)。前年16強入りの実績があった。

 開始早々の2分、ペナルティーゴールで先制を許すが、メンバーに焦りはない。自信の背景にはこなしてきた練習があった。

 例年、花園代表校は初夏の県総体で優勝、準優勝を争うがこの年の宜野座は違った。準決勝で名護に惜敗。学年5クラス、全校生徒約600人規模でそもそもメンバーはぎりぎり。大会前にさらに抜けるなど人繰りの事情があった。FB加納良寛は「いかに克服するかメンバーで話し合ったことで、結束が固まった」と振り返る。

 夏の特訓で技術的にも力を付けた。コザから異動し、4年目の監督、安座間良勝は徹底的に縦への圧力を鍛える。学校グラウンド脇、傾斜30度はあろうかという土手を使ったモール、ラックの練習に特筆される。ハンドダミーを持って押してくる防御を傾斜の下から押し上げなければならない。インターバルを置いて繰り返した。安座間と親交のあった元日本代表FWの小笠原博の直接指導も加わった。

 9月の名護市長杯。県総体で競った首里に2回戦で65―0の完勝。決勝は県総体優勝の名護を21―7で撃破し、夏の成長を示す。全国予選でも再び名護に勝利して初出場を決めた。

第72回大会に出場した宜野座のメンバーら=1992年12月

 メンバーが少ない事情は変わらない。負傷者が出れば戦力は下がる。安座間は大会直前の取材に「交代要員がいない分、全員がフルに動くことでチームワーク、連係プレーに磨きがかかる」と語った。「一人でも欠ければ負ける」という意識は「自分がいなければ負ける」に変わる。

 戦術的には再び来県した小笠原からキックで攻め入り、FWで獲得するアップアンドアンダーを薦められる。全体的に小柄だが、縦へはめっぽう強く、183センチのナンバー8福本国男ら主軸を生かす作戦だった。

 先制を許した花園初戦のフィールド。好機は前半11分。SO奥浜勝也のパントにFWがなだれ込む。密集からのこぼれ球をロックの福本広明が拾ってインゴールへ運び逆転のトライ。

 その後も奥浜のピンポイントキックに合わせ積極的に縦を突く。たまらず相手がペナルティーを犯すと、FB加納がPGをことごとく決めた。プレースキッカーにも換えはいない。花園予選決勝で加納は絶不調。安座間から「あなたが仕事をしてくれないとどうするんだということを、かなり激しい言葉で諭された」と笑う。右サイドの22メートルライン付近から右足でという厳しい角度を含め、7本中6本成功と貢献した。

 各ポジションがそれぞれ自分の役割を果たした。猛練習を自信に、一人一人がチームのためにの神髄を地で行ってつかんだ一勝だった。(敬称略)
 (新垣和也)


 

監督 安座間良勝
(1)FW 比嘉  剛
(2)   大城  淳
(3)   山田 見人
(4)   福本 広明
(5)   瑞慶山大地
(6)   山内  学
(7)   平安山 亮
(8)   福本 国男
(9)HB 伊芸  倫
(10)   奥浜 勝也
(11)TB 當眞 嗣健
(12)   仲間 貴之
(13)   仲村 大輔
(14)   宮城 吉秀
(15)FB 加納 良寛
(16)補員 池原 竜次
(17)   比嘉 淳二
(18)   島袋 友慈
(19)   石川 竜二
(20)   仲間  健
(21)   大城 勝正
(22)   大嶺  勉
(23)   与那城一史