「沖縄ラグビーの歴史を変える」粒ぞろい、最強の布陣 名護・県勢初の16強 2006年<沖縄花園物語>


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ

 沖縄県予選決勝の史上最多得点となる71―0で7年連続10度目の花園(第86回大会、2006年度)切符をつかんだ名護フィフティーンは、確かな手応えを感じていた。現在、トップリーグで活躍するナンバー8名嘉翔伍を筆頭とするFW、同じくトップリーガーで高校日本代表候補のCTB濱里耕平を中心としたバックス。監督の宮城博は「これまで見た中で個々の才能がずばぬけていて、それがうまくチームとして発揮できていた」と振り返る。密集に強いFW、スピード自慢のバックスは、パス、キックの精度も高い。粒ぞろいで、どこからでも得点できる最強の布陣で挑んだ。 (上江洲真梨子)

第86回大会2回戦 名護―城東(徳島) 後半5分、ゴール前5メートルのスクラムからのパスで、左中間にトライする名護のCTB濱里耕平=2006年12月30日、東大阪市の近鉄花園ラグビー場(毎日新聞社提供)

 テーマは「沖縄ラグビーの歴史を名護が変える」。念頭にあったのは県勢がなしえていなかった3回戦進出だ。実力は初戦の山形中央戦から発揮され、50―5で難なく2回戦進出を果たした。

 次戦は城東(徳島)との対戦。FWの平均体重は77キロで約3キロ下回ったが、問題はなかった。開始直後、敵陣でのファーストスクラムから圧倒する。じりじりと押し込みプレッシャーをかけた。前半5分には敵陣5メートルラインからSH比嘉亮介がクイックスタートで最初のトライを奪うと、同21分にはインゴール手前のラインアウトからモールで押し込み、名嘉がグラウンディング。

 後半も勢いは止まらない。同5分、敵陣ゴールポスト前でのスクラム。右ラインにいた濱里がSH比嘉の球出しに合わせて左に走り込む。防御のギャップを突いてそのままトライ。「やってきたことを出せば勝てた」と濱里。名護が誇るスピードで圧倒し、県勢には高かった2回戦の壁を41―7の圧勝で突破した。監督の宮城は「(2勝まで)長かった。いろんなことを思い出してしまった」。さまざまな思いが去来する。目は赤く染まっていた。

 16強による3回戦は、この大会で準優勝するAシードの東福岡に0―61の大敗。得意とするキックからの速攻、スピードを武器にしたバックスの攻撃も、高校代表を複数擁する西の雄に封じられた。主将の田仲祐矢は「Aシード以外の山だったら、8強まで行ける自信があった。それくらい、良いメンバーがそろっていた」。初の16強にも納得はしなかった。

第86回大会(2006年)で県勢初の16強入りを果たした名護メンバーら=2006年12月20日、同校

 主将を務めた田仲は「2回戦に勝った時、宮城監督がベンチで涙をぬぐう姿を見て、教員としてやっていこうと決意が固まった」。夢をかなえ、体育教諭としての道を歩み出し、本年度から母校に戻った。フォワードコーチとして果たせなかった8強入りを後輩に託す。

 ことしは初戦で強豪・国学院栃木と当たる。「持ち味でもある速さを駆使すれば、勝機が見えてくる」と見る。選手から指導者へと立場を変え、花園での挑戦は続く。
(敬称略)