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ラグビートップリーグ13年で卒業、濱里周作の「倒す楽しさ」と「組織論」<ブレークスルー>


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新たな競技生活について語る濱里周作=9日、名護市の琉球新報北部支社

 沖縄を代表するラガーマンの一人がことし、13年間のトップリーグでの生活に区切りをつけた。宗像サニックスブルース(福岡)でセンター(CTB)を務めた濱里周作(34)=名護高出=だ。ハードタックラーは副主将やバックスリーダーも務め、チームをけん引。2008年に県勢トップリーガーとして初トライを記録し、2011年には県勢初のリーグオールスターに選出されるなどパイオニアとして歩んできた。5月の勇退後、地元・名護市に戻り、古巣のクラブチーム、やんばるクラブで第2のラグビー人生を切り開く。

■ラグビー一色

 一つ上の兄で近鉄、サニックスでプレーした祐介が名護高で競技を始めたことが契機になった。「あいつにできるなら俺にもやれないことはない」。温和な雰囲気の周作だが、内に「誰にも負けたくない」との闘争心を抱き続けるのは幼いころから。名護高でラグビーに明け暮れた。卒業後は名護市役所に務め、やんばるクラブで汗を流していた。そんな時、知人の紹介でサニックスの採用担当と出会う。「うちでプレーしてみないか」。トライアウトに合格。クラブのメンバーからも背中を押され2007年に入団した。

 当時を「誰にも負ける気がせず、呼ばれたから行くという考え。2、3年で帰るつもりだった」と振り返る。ただ、入団してみると生活は一変した。ウエートトレーニングに走り込み、タックル練習など、一日中ラグビーを考えるようになった。1年目こそ出場はなかったが、2年目から公式戦出場も増え「6、7年間は全試合フル出場だった」。自慢のハードタックルで存在感を誇った。真正面から走ってくる選手と対面すると「びびってしまう部分もあるが、どれだけ大きく倒せるか。きれいに倒せた瞬間は楽しさの方が上回っている」。

■極める組織力

 組織力が求められるラグビーで「できないものはできない、とはっきり言った」頑固な一面もあった。

 そんな考え方を変えさせられる経験があった。2009―10年シーズンの神戸製鋼戦だ。有名選手が顔をそろえる強豪との一戦で、移籍してきたニュージーランド元代表のケイリブ・ラルフとセンターでコンビを組み「組織で守り、組織でアタックする」という助言を受ける。

 それまでは「タックルにも自信があり、1対1でがむしゃらに自分の部分を守ればいいと考えていた」。助言通りの組織防御も機能し、神鋼に競り勝つ。チームはこの年、過去最高の7位の成績を残した。「組織として動くことで不足部分がカバーできる。自分がやらないといけないという重圧から解放されたし、考えるラグビーを知ってもっと好きになった」。競技の奥深さを改めて知り、中堅としてチーム全体に目を配る意識の変革にもつながった。

■新たな道

ラグビートップリーグの宗像サニックスブルースで13年間の現役生活を終えたCTB濱里周作(中央)(同チーム提供)

 サニックス一筋の13年間で2度、大けがをした。15年には練習試合で右膝を負傷し、4カ月の入院を強いられ復帰まで約1年半かかった。リハビリ中も、頭の中はラグビーでいっぱいだったという。

 「年を重ねるにつれ、若いころのように自分のことだけを考えてプレーする選手を出さないために、チームで勝つためにはどうしたら良いのかと伝えなければ」。負傷してさらに組織力の重要性に気付き、後進育成にも注力するようになった。現役時代には、FWの兄・祐介と地元福岡の高校で指導することもあった。沖縄に戻った今、沖縄での指導も「自分が教えられる範囲で、必要とあれば指導方法を相談しながら教えたい」と語る。

 現在は、会社勤めの傍ら、クラブの練習に通う。チームが所属する九州リーグの再開はコロナ禍で不透明。だが「習慣化したトレーニングで毎日走り、筋トレは欠かさない」と持久力、筋力を維持している。リーグが再開した暁には「フル出場が目標。まだまだ若手には負けられない」。トップリーガーとして伝統国出身の選手とも伍してきた技と経験を、やんばるの地でさらに昇華させる。

(上江洲真梨子)